安全な交差点となりますように。
神田須田町の交差点は五叉路になっており、靖国通りの連続した信号の1機目をで通り抜けると、3機目は完全な
信号無視となるため、2機目の信号で必ず止まらなくてはならない状態が長らく続いておりました。
これまでのあの距離の信号の接続状態は、その道路事情を知っていてわざわざ止まらない限り赤信号無視となるものでした。
警察署もそれを承知していたから、違反者を取り締まるために年中白バイやパトカーが待機していたと思われますが、
そもそも違反者が続出する交通事情を放置していることのほうが問題なのではないかと思っていました。
たとえ、事情を知る運転者が2機目の信号で止まっても、事情を知らない運転者が後ろにいた場合に追突事故に至る可能性は多分にあります。
そうすると、その先にある、青信号に変わって動き出す車や歩行者を巻き込む危険性をもはらんでいます。
ですが、最近、その場所で常々待機していた白バイを全く見なくなりました。
交差点に立ち、信号を眺めてみましたが、以前の違和感のある信号接続ではなくなっており、3機の信号が同時に信号になっていました。
交通事故がこれまでいくつも起こっている交差点です。
交通警察は、違反者を取り締まることも大切ですが、
それ以前に安全に交通が機能するよう、努めていただきたいと願っております。
このことから鑑み、問題が起こるところには、それなりの要因が潜んでいることが多いと考えられます。
根本的な原理原則に目を向けず、そこから生ずるあらゆる現象への対処に奔走することは、
人的、経済的ロスが計り知れず、社会的基盤を揺るがすことにも発展しうると考えられます。
何が根本的な原理原則なのであるかといえば、
「人が、安心して暮らせる社会」
です。でも、「人が」は、「人だけが」といっているのではありません。
人だけに都合のよい社会はめぐりめぐってその都合から生ずるひずみが大きくなり、公害や生態系の崩壊、異常気象など、人が安心して暮らせる社会ではなくなります。
さまざまな環境を可能な限り尊重し、人間も一緒に共生するところに、
子孫が変わらず生活を営めるような先々が描けるようになるのではないでしょうか。
また、ごく一部の立場のものの目先の利や、支配によってのみ秩序が保たれるような社会に、互いを尊重して共生する社会の到来は難しいように思います。
近江商人の家訓として「売り手良し、買い手良し、世間良し」の「三方良し」が有名ですが、
これは大切なことだと思います。
相手と自分に良ければそれでいいということでは済まさず、それが社会にとってもよい必要がある。
各個人がこの理念に基づいて物事を考え始めれば世の中相当住みやすくなりそう...。
ということで、その一実現として須田町の交差点も、
いえ、日本全国にあるかもしれないこのような交差点について、
交通警察の方々には
どのような信号の接続が一番車にも歩行者にも安全なパターンであるかを念頭に、
安全な交差点にしていただきたいと思います。
先週水曜日もまたもや青森県のアンテナショップ「北彩館」に立ち寄り、ついに毛豆をGETし大満足で食しました。
そうしたら、なんと、週末には45Lゴミ袋にいっぱいの、枝ごと収穫した千葉県産枝豆を届けてくださる方があり、そのまま玄関先で実をもいでいた折、中位の大きさの鍋にあふれる状態となったところへたまたま通りかかった道路向かいのご近隣に、採り立ての美味しさのおすそ分けができました。
でも、知り合いが下さった枝豆は、北彩館から求めた枝豆のように豊かな実入りとはいえず、農作物を商品として価値あるものにすることの大変さをつくづく理解した次第です。
ともあれ、この秋は大変「枝豆」にご縁のある年となりました。
また、現在、佐々木先生のご助言を頂き、が終わるころ、ついに念願の青森行きの企画が実現しそうで、心が躍ります
青森探訪のご報告ができるよう、楽しんできたいと思います。
中野