神田地域の再開発事業は、神田再生の救世主か!!?その2 | 万世橋とわたし(神田)のブログ

神田地域の再開発事業は、神田再生の救世主か!!?その2

その2である今回は、市民自治の在り方についての視点から考えることを申し述べたいと思います。

須田町北部町会長様のお話の中で、「過去の栄光を再現することへの執着はプア-な考えであり、ターミナル立地にとらわれるより都心の優位性に目を向けるべき」である旨のお話がありました。確かに、万世橋駅遺構をクローズアップするということの価値は些少であるというとらえ方もあります。そんなものはさっさと片付けて、スクラップ&ビルドでさっそうとかっこ良い華やかな空間にしたほうが先進的な爽快感があるかもしれません。でも、そんなことは、どこでも、誰にでもできることです。「万世橋駅」というものはここにしかありません。そして、それを価値あるものとして認めて高めることは、私たちにしかできないことです。溝尾良隆先生の観光政策論で学んだ「地域の宝は地域の者が気がつかなければいつの間にか無いものになってしまう」というお話を聞いていなければ、私自身も万世橋駅についてこれほど興味を持たなかったと思います。

私たち個人は誰しも、たかだか100年生きている程度であり、社会の構築というバトンを脈々と引きついでいるだけです。その歴史の断片を担当する中で、何を大事にして何をいらないものとするかが後世に残る業績となります。つまり、歴史は連綿と続いていることが事実なのであり、目の前に出現するきれいな新しいものだけが評価されるものとは考えておりません。自分たちはどのようにこの時代に生きているのか、その歴史性を生活の中に認識することは個人の根幹を成す足元を明らかに捉えることに通じるのではないかと考えられます。なので、私は、万世橋駅の過去の栄光に執着する意図はなく、その時代の変遷を生活の中に実際体験できる場所にすることが望ましいと考えております。せっかくその地に生まれ育つものたちにとってはなおのことです。このことについては、遺構を「テーマパーク化することはナンセンス」とのご意見をいただいたこともありますが、それとも意図が異なります。

私は生まれ育ちが「神田である」ことがちょっと自慢です。「それってどこにあるの?」と聞かれることはまずありません。皆さんが知っていて下さる理由は、神保町の古本屋街があったり、スポーツ店の集積、楽器店の集積、大学の集積等などがありますし、何といっても、やぶそば、まつや、いせ源、ぼたん、竹むら、ショパンといった、古くからある飲食店が数多く残っていることも知名度を上げている要因だと思います。そして、1912年(明45)の万世橋駅開業も、それらの店の集積・発展に少なからず寄与したのではないでしょうか。中には、東京都の歴史的建造物指定も受けている建物もあるこの一団の地域において、朽ちてゆく歴史の片りんを放置している状態には何か落ち度があるように思えてなりません。

話は変わりますが、始めに申し上げた『違和感がある』ということについて、「万世橋駅」に対する価値のとらえ方とは別に、存在する意見に対して「プア-な考え方」と表現されたことについて、「??」と思ったのです。前回ご紹介した『21世紀への都市政策(現代総研シリーズ12)』において、「分権的な意思決定による責任体制の確立と、多様な形態・内容の住民参加による自己統治の機能の強化が必要であ」り、「「市」や「町」や「区」の単位が、はるかに多く主体的な都市形成のための市民的参加の条件を備えていることが指摘されなければならない」と述べています(P.1214)。また、「都市政策において、現場性(現実の問題解決)、地域性(地域に適した必然性・未来性)、市民性(市民が参画し市民との間に政策のフィードバックを行うこと)、総合性が重要」としています(P.45)。この場においてその政策をつかさどる自治体は、各問題の解決における必要規模の単位として考えることを前提として、市民自治の実現においては市民の参加はなくてはならないものといえましょう。

問題・課題に対してどのような意見が出て、どのような経緯によってどのような判断がなされたという手続きが明確に公開されることが、民主主義を踏まえた市民自治に必要なのであり、出た意見に対する非難は不要です。ある限られた市民の決定によりいつの間にか状況が定まっていて、市民全体が気がついたときには何もかもが様変わりしていたという事態で良いのでしょうか。これからを生きる子孫にどのような地域を残してあげたいのか、意思ある市民が意見を出すということは、その地域の財産ではないでしょうか。みんながその地を大切に思い、さまざまな意見の中から将来を見据えたより良い方向性を模索することで、より地域のコミュニティとしての機能強化につながるのではないでしょうか。この地のケースでいえば、神田祭りだけをコミュニティ構築の手段として依存することには無理があります。しかし、この本は1986年に出されております。つまり、20年以上たっている今もなお、市民自治という考え方の実現はまだ近くはなさそうな理想であるといえるのかと感じました。


文責 法政大学大学院 政策創造研究科 修士課程2年 中野