活動経緯の紹介 その3 | 万世橋とわたし(神田)のブログ

活動経緯の紹介 その3

さて、本日は、活動経緯の続きを申し述べたいと思います。

大樹に寄ることを当てにできなくなった後、自分なりに客観性に疑問が生じました。単なる自己満足のために、独りよがりでことを押し進めるのは、はた迷惑な話だと思ったのです。ましてや、神田須田町といっても、一丁目だけでも北部、中部、南部という3つの町会に別れており、神田祭のときにもそれぞれの神輿を担ぎ出します。そして、旧万世橋駅があるのはその中の北部町会であり、私は中部町会の関係者なので、そのくくりで行くとよそ者となるわけです。ということで、北部町会に属する小学校時代の同級生に、事の始めから説明し、意見を仰いで見たところ、「気持ちは同じである、交通博物館跡地がどうなるか、大変気になっていたし、何かしなくてはいけないと思っていたけれども何をしたら良いのかわからずに今まで過ごしていた」とのこと。それなら、少なくとも独りよがりの考えではないという確認に力を得て、須田町北部町会長様お話をしたいと思いました。

その際、当初「CSRとは何ぞや!?」というところからご教授いただいていた北原正敏教授からの「JR東との折衝となれば、窓口が複数あることはかえって混乱を招くので、町会長にとりまとめをいただくことが出来るか伺うのが望ましい」とのアドバイスもあり、町会長さまに心から信頼を寄せているその同級生に仲立ちを頼んで、北部町会長様に御目通りを願いました。その後、紆余曲折、公的な要職も複数兼任され、お忙しいためお目にかかる機会はいただけませんでしたが、メールなどのやり取りにより、当方の考えを述べる機会はいただくことができました。その概要は以下のとおりです。



自分自身、JR東と敵対関係に陥るよりも、相互利益を図る方向性が地域に資する一番望ましい結果を導くのではないかという考えに至ったこと。

しかし、JR東の企画の説明会において、報告に用いられた詳細な資料が欲しいとの意見が出たにもかかわらず、質問への回答や検討の結果などを知らせる文書がこちらに届かないことから、地域住民との良好な関係構築を求めるために、社会の反響をJR東の判断基準に参照してもらうよう促せないものかと考え、その手段として神田学会のサイトに当方の発信の場所の提供を願い出た次第であること。

町会の方にお話を伺う機会を得て、町会長さまを始め町会の皆様方が、交通博物館が閉館して以来、旧万世橋駅を地域のために良い利用してもらうよう、どれほどJR東に働きかけてこられたかを伺うことができたこと。

おかげさまで、説明会においてJR東があれほど念入りにコンセプトを並べ立てたのは、町会に対する建前であったことを理解したけれども、そのような資料を一切残さず、単に建物の及ぼす影響や構造資料のみを配布したということに、JR東の意向が表れているとも感じたこと。

「旧万世橋駅遺構」の観光資源としての観点から考えると、このようなアクセスのよい都心の真ん中に、ほの暗い高架下を通り抜け、上方の外明かりへ向かって、万世橋駅ホームに顔を出すと中央線が行きかう様が見られるという、過去と現在の間を行き来できるようなバーチャルではない「子どもの夢を育むような」場所は、他には滅多にあるものではないと思えること。

過去の「駅」は、おおよその国民の心の中に何かしらの懐かしい記憶を持つ対象であり、加えて、交通博物館は今生きている人たちにとって、やはり様々な情景を呼び起こす懐かしい記憶として多くの人々の心に残っていると考えると、このどちらも併せ持つ地の観光資源としての活用は老若男女、幅広い層の支持を得られるのではないかと考えられること。

まちみらい千代田の平成18年度第1回理事会議事録のなかに「区内にはまだ隠れた観光資源が多くある。今後は、その掘り起こしを行い、区内の観光資源として、PRに力を入れていきたい。」とあり、旧万世橋駅遺構の活用は、この趣旨にも合致したものであること。

須田町北部町会には、旧来から知られた老舗が暖簾を守るほか、和・洋菓子、中華系、洋食、無国籍などの幅広い食の提供や、新たな魅力ある小物屋などが近隣に広がりを見せ、そこに旧万世橋駅の遺構が観光資源として加われば、新たな産業・商業集積の創出も大いに期待でき、古いものと新しいものが渾然一体となって今以上に存在意義のある街になりうると考えられること。

旧万世橋駅遺構」のCSRとしての観点から考えると、

〇当該地が上述のように多くの人々の心に郷愁を残す場所であろうということ。

〇ネット検索をすると、「旧交通博物館」で約920万件、「万世橋駅」で約12万件ヒットするほど、社会的な注目の対象であること。
〇時代の流れを次世代に示す貴重な史跡的位置付けとしてその価値に接する場の提供は、JR東にしかできない社会への貢献と考えられること。


以上のことから、そのような遺構を人々に開放するための諸費用と、それによる人々がJR東に 抱くイメージの高揚とを勘案したとき、コストパフォーマンスが非常に高い地であると考えられます。自社の手元にある物件に手を加えて歴史を標示する事によってその価値を評価されるというのは、継続性についても無理はなく、なおかつ文化的な資源を擁するというステータス感も存在し、JR東にとっても旧万世橋駅活用は経済的・社会的に大いに意義を持ち、検討に値する話と考えられること。


など、申し上げましたが、結局のところ、交通博物館跡地がどのようになるのか、心配と期待の気持を持って見ていた人は私の知る範囲だけでも少なくないことも明らかとなり、北部町会長様を始め、皆様方のこれまでのご尽力に心から感謝を申し上げると共に、これからの展開、JR東の姿勢を、やはり心配と期待を持って見て行きたいと思います。北部町会長様から伺ったお考えについてはまた次の機会に。


 ところで、7月27日の第145回神田学会において、神田で現在進行中の三つの再開発計画について、それぞれの担当者より詳細な情報提供があるとともに、須田町北部町会長様の「神田再生にかける思い」を伺うことが出来ることになっております。楽しみに出かけたいと思います。



文責 法政大学大学院 政策創造研究科 修士課程2年 中野