参院選
皆さまは、国民としてのお役目を果たされましたでしょうか。
私は、選挙日に外出の予定がありましたので、期日前投票に行って参りました。
さて、自分は元来、短絡的かつ感覚的に生きてきた部類ですが、
そんな私に向かって制度・背景を含めて政治、経済、文化、雇用、教育、福祉、外交、その他複合的な判断を要する投票や選挙についての意見を問う、
秀才で奇特な友人がいてくれましたので
、

今回はタイムリーにその方との意見交換内容も交えながら、特定の支持政党のない一般市民としてこれまで感じていたことを率直にお話したいと思います。
「今回の選挙についてどのような印象を持つか?」と問われたものですが、
このところ、自民党の大量議席獲得、民主党の逆転議席獲得と、もしかして群衆的判断?と危惧してしまうような結果が続いていました。今回を含めてそれらの結果に、
友人は「政党間には切磋琢磨が必要」とし、私は「政党間には均衡が必要」として、一人勝ちや右へならえではなく、政党間には緊張感が必要であるという点で一致を見ました。
また、二院制について、友人は参議院は不要派で、その理由は
「衆参で議決を異にすれば衆院の採決となるのだし、『ねじれ』がなければそれこそ参議院の存在意義はないのだから、時間と歳費の無駄! そして、議員は選挙のためだけに活動しているように感じられるので、じっくり活動するためにも、参議院の選挙方法で衆議院の運営をするといった工夫が必要なのではないか」とのご意見。
戦後、「貴族院を廃止して一院制にせよ」とのマッカーサー原案に対し、独裁体制回避のために二院制が必要との政府意見により、参議院ができ、良識の府として機能したと理解しておりますが、
昨今の参議院選挙を見る限り衆議院選挙とあまり変わることのない政党選択と化しており、「良識の府」という役目をはたしているようには考えにくい。つまり、国民が万が一群衆的行動を起こした時に独裁体制が敷かれる可能性は充分にあるということになります。よって、現在の参議院の存在意義は、私も薄いと考えております。
そして、選挙運動というものに対しても、いささか疑問を感じております。
以前、落選した候補陣営の反省に「時間が足りなかった」「戦略を誤った」などといったことが挙げられておりました。この候補者は、その後どう過ごしているのでしょうか?
一度の落選は、その背景に急きょといった状況があるかもしれません。しかし、それだけで、引き下がるような候補でしたら、落ちてよかったのではないでしょうか。
時間が足りなかったという反省でしたら、落選の翌日から次なる活動を始めればよいのではないでしょうか?
地域や日本全国にわたる問題解決のために立ち上がった方ならなおさらです。
今回の選挙で初めて選挙権を得た人の話を聞くことができました。その人の考えは、
「地元の駅で日常辻立ちをしてさまざまな報告をしている『○○さん』の熱心さを応援したい」とのこと。
国会議員、県議会議員、市町村議会議員など、議論の対象の違いはあっても、いずれも国民、地域市民の安心安全をいかに担保したうえで豊かな社会の実現を図るかという目的に相違はないと考えられ、その選挙戦で国民・市民の支持を得ようと思うなら
立候補の目的とその実現による将来像を知らせ(問題意識・中長期展望の明示)、
そのために何をどうする必要があって(状況報告や手段の提示)、
自分はその実現のために何に取り組んでいるのか(活動の具体的明示)
また、その実現に際してどのような問題があるのか(課題や危機管理の必要性の明示)
などを、日々有権者に伝える必要があるのではないでしょうか。
選挙期間だけ一般市民と同じ生活圏内に入りこんで、汗を拭き拭き
「頑張っています!」といわれるのは、聞いても響くことはありません。
有権者の政治への意識を喚起することが必要です。
そのためには、政治にかかわろうという意思ある方が、日々、「どのような問題がある」「この部分が足りていない」「どのような協力を必要としている」といった、政治の話題を、できるものは市民の生活レベルになぞらえて
市民の日常に提供することは大変重要な選挙運動となるのではないでしょうか。
上記のように選挙運動について疑問視していた私ですが、実は昨日、不満足感を払拭する話を聞きました。
今回落選された池谷幸雄さんですが、
「これで終わりにするわけにはいかない。今の子どもは、機能的に充分な体を作れるだけの運動をしていない。健康な成長のできる環境が必要だ。だから、自分は次の選挙戦に向けて、これからも活動を続けていきたい。」
と、テレビのインタビューに答えておいででした。
「地元の基盤があるから」とか「知名度があるから」とかいう方々が当然当選するような選挙ではなく、
ちゃんと国民の幸せを願って意思の実現をしたい方が、一人でも多く意思決定の現場にかかわれるような選挙結果を出せるよう、私たちも務めなくてはいけないのだと思います。
ローカルな話になりますが、千代田区政も、いささか区長・議会と区民との考えの隔たりを感じざるを得ません。開発優先志向の体制と、地域文化や資源を大切に誇りを持って暮らしていきたい地域住民との方向性の隔絶、議会傍聴の為に予定時間に来る区民を放置した、議員意思調整などを目的とした議会開催時間の限りない延長(6/26東京新聞など)、
区長も議員も、区民によって選出されているはずなのに、政治が直接的影響を被る住民に開かれているとは考えにくい状況があります。
ということは、有権者の選挙権行使の問題がないとは言えないのかもしれません。
自分自身も意思ある選挙権の行使をできる国民・市民にならなくてはいけないと改めて認識する機会をくれた友人に、感謝します。
松下圭一先生のおっしゃる『成熟した市民』に半歩くらい近付いただろうか...。
文責 法政大学大学院 政策創造研究科 修士課程2年 中野