神田の素敵なお店 神田ラガン訪問から
「神田ラガン」様を訪ねて、いろいろお伝えして参りましたが、
つまるところ、「神田ラガン」オーナーのお考えの根底にある「自分たちがまちを創るメンバーの一人である」という自負が何にも増して大切なことだと思いました。
このことは、商業の維持発展のためだけのお言葉というより、自分たちが社会を構成する重要な構成員であるという認識に伴う責任感の表れなのだと理解しました。
そしてこのような意識は、多くの場面に重要な意味を持つものだと言えます。人は、何でも一人でなしえている訳ではなく、それぞれに能力を持ち、協力関係によって一つの出来事の成果を共有、共感します。そして、それにより嬉しいこともつらいことも誰かと一緒に経験しながら日々を過ごしているからです。
それを理解していれば自分ばかりではなく、家族や友人が大切であることや、地域を構成する自分を含めた個々の必要性がわかります。
このような相互認知の意識がソーシャルキャピタルの礎になるのではないでしょうか。
近年、ソーシャルキャピタルが希薄になっていると取りざたされ、その要因として核家族化、建築物の構造、個人主義、プライバシーの尊重、携帯電話やテレビゲーム等の普及、その他があるといわれ、上記のような意識の欠如も指摘されています。
また、ソーシャル・キャピタル政策展開研究会(H20.2)の報告書資料内で「社会的主体間の関係性やそれが及ぼす影響について分析することを見据えて「ソーシャル・キャピタルを測る」のは非常に難しい」としつつも、世界各国で市民社会づくりを踏まえたソーシャルキャピタルを高める政策が打ち出されていることを紹介しており、アンケートから分析をするなどして、「都道府県別ソーシャル・キャピタル指数値」を割り出したり、ソーシャルキャピタルが社会に及ぼす影響に着目しています。
私は、ソーシャルキャピタルが機能することで、それぞれの個人が周囲の人を認識することにより、人の変化に対応し、さまざまな事件を防ぐ可能性を広げることができるのではないかと考えています。
重大な事件が発生するまでには、いくつもの段階があるのではないでしょうか。
例えば、乳幼児虐待などは、特に周囲の方々の関与が必要です。乳幼児は自分で状況を語ることができず、外部に連れ出されない限り人の目に触れることができないからです。
ただ、保護者を監視するべきと考えている訳ではありません。育児は子どもの成長と言う大きな喜びがある一方で、ときには大変孤独な、親自身の人格が認められていないのではないかと不安になるような労働です。そんなとき、何気なくかけていただくねぎらいの言葉は、一服の清涼剤的な効果があったりして、そこに共感が生まれれば、日ごろの育児不安から自分自身を仕切りなおす機会になりえ、乳幼児虐待の一つの段階をもしかしたら消してあげることができるかもしれません。
ただ、場合によっては、人の問題行動にかかわることで命を落とすような事件も存在します。
どこまで周囲に関与することができるかは難しい選択の場合もありますが、少なくとも、育児中の保護者への配慮についてはそのような危険性は少ないと考えられます。どうか神田のまちのみならず、自分の暮らす地域社会で子どもが心豊かに育つよう、見守る気持ちで「一言」をかけてさしあげてください
さて、以上で、「神田ラガン」さまに関するご報告を締めくくらせていただきたいと思います。
私どものインタビューに際して、「神田ラガン」様には貴重なお時間をいただいたうえ、幾重にもご配慮いただきましたことに心より感謝申し上げますとともに、
地域のつながりを大切にし、サプライチェーンの各企業までも守るべき仲間であると言及してくださった
「神田ラガン」様のこれからの一層のご発展を心から期待申しあげます。
ところで、私たちの同期入学生である田島みわさんが、このたびの参院選に出馬されておいでです。
政党がどうかは述べるところではありませんが、田島さんの物事に臨む熱意ある姿勢や周囲への細やかな配慮など、お人柄には常々敬服しておりますので、選挙戦における結果に限らず、ご健闘下さるものと期待しております。
文責 法政大学大学院 政策創造研究科 修士課程2年 中野