受講を終えて。
本日は、「神田学会」さんのお話との予告をいたしましたが、更新の後れた原因となった「比較自治行政研究」の受講を終えたこの機会に自分が考えたことを、今回申し述べたいと思います。
まず、申 龍徹先生の講義では、政治学と行政学の関係について、周辺要素などに言及しながら、現在に至る変遷をお話くださり、その状況を理解できました。
その後、受講生に(思いつきの?)課題を振られまして、そのお題に基づいて発表するという流れでした。「(思いつき)」と申しましたが、「先生の勝手な」という意味ではなく、受講者それぞれの論文テーマに即した自治行政に関係するお題ということで、自分の論文に、直接ページを埋めることができる内容になるかどうかはそれぞれの取り組み方によると思いますが、少なくとも、自分の研究内容に厚みを持たせることのできる課題だと思いました。もちろん、ほかの先生の講義でも、「自分の論文テーマに寄せて!」との但し書きがありましたが、そこに先ほど申し上げた「思いつき」が意味を持ちます。
というのは、自分で設定した課題の取り組みでは、自分の既知範囲での構成になりがちです。しかし、お題を設定されてしまいますと自由がききませんので、同じテーマの中にあっても今までまったく見てこなかった分野に目を向けざるを得ません。今回、私は児童虐待に関する自治行政比較というものでしたが、条例などを検討するにも、自分にとってどこの場所についても熟知していないことから、途方にくれ、どうせやるなら自分なりの分析をしてみて地域を選びたいと考え、その結果を先生にお見せして、指定地域の変更をしていただきました。
そのような分析にしても、これまで使うことのなかったエクセル使用やグラフ化など、四苦八苦しながら説得力のあるもの(らしく)を仕上げたり(その際、共同研究室でたまたまお隣に座ってしまった同期生Yさんに多大なご迷惑をおかけしながらも寛容に励ましのお言葉までいただきました。有難うございます!!)、地域の情報を集める努力により、さまざまなデータの存在を知ったり、というテーマ周辺のツールの発見がありました。
また、通常は行政という分野は武藤ゼミ・申ゼミ生が多いのですが、今回の受講生は7人ほどでしたが所属ゼミが4つに渡ったため、いろいろなテーマに即したお話をうかがうことができたのも、大変興味深いものでした。
その中でトータルして考えたのが、今希薄化しているといわれているソーシャルキャピタルの回帰を求めるならば、
『行政上コミュニティビジネスにとっての適正規模での自治社会の構成を描き、地域でコミュニティビジネスを支えて、その地の関係者が皆ステークホルダーであると同時に、相互関係の中で自らの正の存在価値を認識できるというソーシャルキャピタルによる心の豊かさの実現をすることで子どもを守る』
ということになります。そのコミュニティ内のみで解決できない問題については、ネットワークの力により相互協力体制を築く必要はあります。ここに比較という視点はありませんが、さまざま比較検討から導かれた望ましい要素のまとめとお考えください。根拠や定義を併記しない、無責任な記述ですが、紙幅の都合もありますので詳しくはいつかまとめられたらまとめたいものです
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神田で考えるとどのようになるでしょう。現在、千代田ブランドを売れるだけ売ってしまえ!との意思の共有に見える千代田区政とデベロッパーの関係に対して、売り逃げすれば後、地域がどのような廃墟になろうとも関係ないデベロッパーと、文化的資源までもないかのような扱いをいとわない開発計画を相手に、これからも誇りを持って住み続けたい住人の願いをくむべきはずの議員は間違いなく存在します。しかし、そのような住民の声を代表する意見は、開発で何らかのメリットを得るのか、その他の議員の一団に声を消されているとの危惧もあります。議員はその地の将来を考えて住民のために働くはずなのに。はてさて、これからの神田にどのようなソーシャルキャピタルを描きましょうか。
最後に、申先生は、講義の全体を通して、私たちがどのようにすれば質の良い論文が作成できるかについて指導してくださいました。その方法論はさまざまな機会に伺うため、頭でっかちになるくらい「べきこと」は蓄積しましても、歌舞伎を知らない私が作法を聞いて舞台に立てるわけではないことと同様、どうすることがその具現なのか判断できない私のようなものにとっては、実践といえる申先生のお話は大変ありがたいものでした。
末筆ながら、申先生ならびに受講生の皆様には有益なお話を伺い、この場を借りて感謝申し上げます。
文責 政策創造研究科 修士課程2年 中野