大姥山(1,006m)おおばやま 長野県大町市

   令和4年5月22日(日)曇り 単独行

 

 金太郎伝説の山で名高いのは、箱根の金時山(1213m)である。私が登ったのは箱根駅伝が終わった翌日、1月4日だった。箱根路は喧噪も過ぎ、普段の姿に戻っていた。ハコネザサの繁る登山道、山頂からの御大富士の雄姿、想い出深かった。所で、大町市にも金太郎の伝説が残っている。知名度では箱根に譲るとして、この地にも本家を名乗る旧跡が至る処に点在していた。

 急登の続くこの山、鎖場が10か所あった。岩場に慣れない方には、かなり怖い個所もあり緊張を強いられる。大姥神社までは車も上がるが、殆どすり替えが出来ないので、下の道路に車を停めた。先ずは薬師如来堂に詣り、しばらくの歩行で金太郎のうぶ池に出る。ここは金太郎が生まれた時に、産湯として使われたそうで、適度な広さで大きな体の金太郎も狭い思いをしなかったようだ。右手の奥に岩場が見える。45分で大姥神社にやってきた。松本ナンバーが3台停まっていた。赤松並木の参道をしばらく歩くと、社殿に出る。左に廻ると早速急登が始まった。右がざっくり切れているので、考え事は厳禁だ。昨年11月の百里ケ岳辺りから特に登りがきつくなった。10歩歩いては休み、10歩歩いては休み、息を整える必要が多くなった。20分でベンチが現れた。左手には大町市で東山と呼ばれる鷹狩山の特徴ある稜線が見えてきた。4年前の4月に3名で登った懐かしい山だ。ここからは緩やかな道となった。漫歩の気分を味わえる。この山はツクバネウツギが目立つ。淡い黄色の花が楚々と咲く姿に、静かに彼女が寄り添ってくれているようである。登る前から気になっていたのが対岸の高雄山だ。悠然と構えている。神社から概ね1時間で山頂に着いた。信越放送など4社のテレビ中継放送局がある。そもそも伝説の根拠となっている話であるが、昔、大姥が八坂村の一番高い山に棲んでいたら、有明山の八面大王と恋仲になり、金太郎が生まれたそうである。姥が妊娠したとは奇想天外ではあるが、気に掛けないことにしよう。残念ながら、燕も大天井も餓鬼など北アの精鋭が見えなかった。下る途中に見学した大穴は、高さ7m、幅30mで、ここで両親と金太郎が暮らしたのだろう。何とも凄まじい自然界の造形だ。下山後は、平安時代初期の創建とされる藤尾覚音寺に参った。そして春まだ浅い唐花見(からけみ)湿原に寄った。ズミの白い花が咲き、ミヤマウメモドキ、ヨシやスゲ、ミズゴケが多い。9ha近いこの湿原はまだ春本番には程遠かった。大町の市街地が近づくと、北アの大観が空を埋め尽くす勢いがあった。富山、松本、大町、伊那、甲府など日本アルプスの展望地は、やはり山好きにとり「まほろば」である。このエリアの次回は「京ケ倉」である。

 

①春まだ明けやらぬ唐花見(からけみ)湿原の風情 

②分岐での金太郎看板

 

③金太郎に会い休憩の口実作り

 

④大穴の迫力

 

⑤こちらも大穴です 

⑥山頂の憩い、他に誰もおりませんが。

 

⑦金太郎のうぶ池