明石城は、松本城主だった小笠原忠真が1617年に明石に国替えとなり、現在の明石城より南西に約1キロメートルのところにあった船上城に入り、翌年2代将軍秀忠より築城の命が下りる。
1615年の一国一城令によって廃城となった付近の城の資材を用いて建てたとされている。
自然の地形を巧みに利用し、四隅に三重の櫓を配し、本丸に大きな天守台が築かれたが、天守は建てられなかった。
2棟の櫓は江戸時代の遺構そのまま保存されていたが、阪神・淡路大震災で土台の石垣が沈下し、漆喰壁はひび割れたり崩落したりと大きな災害を受けた。
その後大規模な修復工事をへて、現在に至っている。