明後日の4日が最終日の駆け込みとなってしまったが、そういう人たちが他にも多く混んでいた。
政治・社会が混迷した平安末期に、民衆の救済を考えた法然は、「念仏をとなえれば誰もが救われる」と阿弥陀如来の名号をとなえることを説き、浄土宗の宗祖となった。
その教えを受けたのが、40歳年下でのちに浄土真宗の宗祖となる親鸞で、法然と同じく比叡山での修行を積んだ後、29歳のとき法然に出会い、たとえ地獄に落ちようとも、その教えを信じて念仏をすると決断した。
しかし専修念仏の教えは既成教団から弾圧を受け、法然は四国へ、親鸞は越後へ流罪となってしまう。
その後二人が再会することは無かったが、親鸞は越後への配流後、関東などでの布教活動を経て京都に戻り、真摯な研鑽を続けて思索を深めたということである。
その二人の合同展ということで、ゆかりの名宝が一同に集まっていた。
書や画が多くて仏像好きの私にとっては少々寂しかったが、阿弥陀如来像と両脇侍坐像の三尊像が迫力があって良かった。