先程のブログで申し上げたように時系列では書いておらず、年末年始のブログから一月の間に実はあちこち。の間に篠191号を発送したり、様々な原稿対応、各句会指導と超結社句会参加、会計事務所など飛び回る一か月でした。
句会のお知らせ
ににんにも書いていらっしゃる西村麒麟さん、そして様々な賞を既におとりの抜井諒一さんのW受賞。
おめでとうございます。
有馬朗人氏や小澤實氏のお話が面白かったです。
KADOKAWAはこれから所沢に移転するとのことでその映像も観ました。ようこそ、埼玉へ。
左上は最近お付き合いのあるLotus誌に文章を寄稿する事となり、前述のクイーンのマダムの焼いたパンを食べながら書いていた一日。
私ごとですがiPhoneⅪに機種変更したら以前持っていたLINE cameraスタンプが使えなくなって人の顔をぼやかすのがこんな光に。
以前忙しい時期のiPhone機種変は敬遠していましたが、今時はcloudでさっくりデータ移行。なので昨年に変えています。
やはり赤坂はどこに出るにも便利ですね。
それでも巣のある埼玉に必ず帰還。
鳥みたい。
俳句大学も数年前から新宿から大宮に移動。
多分私が一番近いのではないかな。
ということで五島高資氏の代行で司会進行を。
詩魂の爆発でした。
二月末に姫路の亜流里句会に林誠司さんに同行して参加してきます。
私は岡山黒住教本部の岡田隆彦の墓参から移動で。
その亜流里の佐藤日田路さんが句集『不存在証明』(俳句アトラス)を出されました。
詩魂の爆発でした。
佐藤日田路『不存在証明』より
青空を動かさぬよう魞を挿す
作る人いつか乗る人茄子の馬
心臓に手足が生えて阿波踊
現代俳句寄りの超結社句会に参加したり、色々な句集を読んだりしていて混沌としていますが、私はどうしても俳句は生きるために詠むように思えてならないのです。
文学には救済的な面もないと多くの人の心を打ちません。打たなくていい、自分だけがわかればいいと考えるのであれば何も発表しなくなり、文学そのものの意義が問われてしまうからです。
TwitterというSNSは発見を共有する事が目的ですが、俳句にもそういった側面が介在すると考えています。
共感し心が打たれるからこそ句会でその句を頂く。
理解できそうでできない句も。
句を発表するということは真の理解者を欲する気持ちがあるという事でもあり(違う場合もありますが)、寂しがり屋の文学でもあり、理解し寄り添うことでその詩性を取り込む所有欲というのもあると思います。
それは決して悪いことではなく生きるのに必要な意欲です。
私は、篠誌「作る」のエッセイに「まず、生き生きと生きる」必要性を説いていますが、生きて詠む、詠むからこそ生きるこの関係性もどちらが先でも構わないと思います。
なので、過去は反省して未来に生かすのみにして、少し先の未来を楽しみに句を詠み続けたいと思います。


篠の子句会 2月4日火曜13時30分南朝霞公民館
当季雑詠五句
六本木句会 2月15日土曜13月久國神社谷箪會舘
当季雑詠五句
三月は各句会の時間場所など変わります。
俳句大学句会 3月1日日曜13時シーノ大宮桜木公民館
当季雑詠四句当日席題一句
篠の子句会 3月10日13時30分南朝霞公民館
当季雑詠五句
六本木句会 3月21日10時板橋セントソフィアクリプタ
板橋区赤塚5-12-23
「岡田史乃一周忌句会」
墓参後に前の赤塚植物園に移動して吟行し成増の貸し会議室 成増1-28-15-401
13時から句会。一句追悼句を含めた当季雑詠五句
この句会については篠会員以外でご参加の場合コメント欄などに書いてください。人数把握の為。
また岡田史乃一周忌に当たる3月末には、夫で私の父である岡田隆彦全詩集が吉増剛造氏と稲川方人氏の監修、慶應義塾大学出版会編集のもと響文社より刊行予定です。これについてはまたお知らせします。