このところ私は篠俳人としてよりも、父、岡田隆彦の血脈を辿ることに囚われています。
それというのも前述の吉増剛造氏との声ノマ展に於ける再会、両親共に懇意であった宇佐美圭司氏の妻である宇佐美爽子氏
の追悼展など色々なご縁が自身を生まれた場所に引き戻そうとしている事を感じたからです。
そこで、母、岡田史乃が開館当初に行きそびれた三島市の大岡信ことば館へ行く決意をしました。
この気持ちを後押ししたのは、友人が書いていた私小説で、読むほどに行かねばなるまいという気持ちになりました。
幼い頃に家族でよく深大寺近くのお宅に遊びに行っていたので懐かしい感じがしました。
三島市では夏祭りの練習なのか地域の会館や公園などからお囃子の練習の音が聞こえました。
頭上から横笛の音が降ってきて、見上げると機械式駐車場で若者が練習をしていました。
小さな川が流れる場所を歩いたり、デザイナーの一品物のバッグや帽子を横で売るカフェなど滞在する程に新たな発見があるような街でした。
鰻も一番お勧めだと言われたお店が水曜日休みで、すみの坊というお店で頂きました。身体の芯に沁み渡る美味しさでした。
まず深海魚水族館に行きました。
様々な深海魚の面白い特性を知ると同時に完璧に再現されたシーラカンスに驚きました。
駿河湾が駿河トラフの影響で遠浅ではなくすぐに深くなる感覚を味わってきました。
今、海無し県の埼玉でこれを書いていると全て夢だった気がしてきます。
海を見ると不思議と言葉は句ではなく詩になります。
父から詩作を禁じられていたので、詩を見せたことは一度だけ。
「お前は詩を書くと不幸になるからやめなさい。どうしても学びたければわたしの名前を伏せて書泉グランデなどの同人誌から合うものを探して入りなさい。出来たら絵本を作るとよい。一番大切なのは地に足をつけた生活をすることだ。会社や家庭など社会的にきちんとした居場所を見つけなさい。」と大磯の家で珍しく父親らしい事を言いました。無くなる数年前のことです。
その私がまさか俳句を詠むようになるとは。
未完の数分で湧いた詩のかけらです。
「降りてくる」 辻村麻乃
降りてくる
何が降りてくる
神が降りてくる
そんなはずはない
言葉が降りてくる
さわさわ
ざわざわ
ぴーひょろ
どんどん
歩けば小川が
前からそこで待っていたかのように
海に流れ
空に蒸発して
雨になって
大地に吸われ
わたしは泣くだろう
そして俳句
黒揚羽駿河の深みに嵌まりたる
辻村麻乃
実家で両親の若い頃の写真を見つけました。その時の母は綺麗でした。