赤坂へは毎週行っているが、今日は掃除を終えてから京橋の南天子画廊に。
母の親友の宇佐美爽子さんの追悼展のオープニングに行ってきた。
まず、赤坂の今日の一枚。あちこち工事中である。
40年ぶりにお会いした弥々ちゃんは美しい女性になっていた。
そして様々な事に思いを巡らすために、友人が勧めてくれたカフェ、グランドレへ。
父、岡田隆彦の詩集『史乃命』。
ご存知だろうが、その史乃は私の母であり、俳人、岡田史乃である。
幼い頃から沢山の詩人や画家などの芸術家と接してきた。
美学を学んだ学生時代もだが、俳句を詠むようになった30歳過ぎから、その事の重さに気づくようになった。
青春時代は(今もだが)ロックに明け暮れてしまった。
ただ、何があっても私の中に一本の道があり、枯れない泉がある。
施設を歌っていると言われているが、ビートルズのストロベリーフィールズフォーエバーの曲からの風景が広がる。
それが時として黄昏病のように、夕焼けを嫌い、苦しくさせる。
句には詠めない。
子どもの頃から波瀾万丈であった私の暮らしを客観視する癖が俳句に生きていると思う。思いたい。
地に足をつけた人間になりなさい。
これは、亡き父の私への切なる願いだった。
お父さん、私はちゃんと暮らしていますよ。
そして、明日は吉増剛造氏に会いに行く。