この、西東三鬼の『神戸、新神戸、俳愚伝』は前に読んでいたのですが、「篠」の書評に書くに至らぬまま日にちが過ぎてしまいました。
父、岡田隆彦が三代遡ると岡山県人である私は、岡山生まれと聞くと何か親近感を感じます。神戸への憧れもあり、岡山生まれの西東三鬼がシンガポールでの歯科医を経て、大戦下の神戸で不思議な体験をしたこの物語を大変興味深く読みました。
その神戸暮らしの前に起きた京大俳句事件の頃についても書かれた俳愚伝からは俳句への情熱や句座を囲める事がどのように貴重な事か等、改めて感じる事が出来ました。
俳句を続けられる今の環境に感謝しなくては。
お気に入りのカフェ「A971」
地元なのにラフな格好で行くと戸惑ってしまうという難点が‥赤坂は仕事の街で私の学生時代まではまだミカドもあって(隣のお風呂屋さんが同級生)土日は怖いくらいに静かな街でした。しかし、今やアークヒルズやサカス、ミッドタウンなどで観光客が増えて、まるで他人の街のようです。
赤坂に来るとよく考えるのは、何故将来の夢を俳人として目指す若者がいないのかという事です。俳句だけでは生活が成り立たないからでしょうか。
そう思うと、西東三鬼のように歯科医という立派な仕事を持ちながら、戦時中の神戸では別の事を生業として工夫をしながら生きて、それでも俳句の情熱を捨てなかったというのは凄い事ですね。
大変な時代でしたが、俳句を熱く語れる仲間には恵まれていたと言えるでしょう。
逆に恵まれた俳句環境を持つ私がそれをきちんと生かせて来なかったのは、仕事として成立しなかったからではなく、俳人である母、岡田史乃という大きな後楯で擁護されて仲間がいなかったからなのだと気付かされました。
昨年の6月の玉藻のパーティーに母娘で呼ばれた時に、俳人として長年活躍してきた母とは勿論違うテーブルでしたが、そこに同年代の俳人が沢山いて、Facebookを通じて自分だけの顔見知りが出来ました。
それを、きっかけにプロの方との超結社句会やFacebookの俳句大学句会などに参加するようになって、初めて俳人のお友達が出来たのです。(この時点で句歴20年)
仲間と句座を囲む楽しさをしって、改めて俳句の魅力に取り憑かれるようになりました。
遅かりし、なれど遅からず。
諸先生方及び篠会員の皆様、Facebookのお仲間、俳人協会埼玉支部事務局の皆さん、そして編集者の方々に感謝を致しております。
いつもありがとうございます。
辻村麻乃