以前古代ギリシャの授業について書いたが、

僕がとっているもうもう一つの大きな授業は

「Food and Travel Writing」である。

文字通り旅と料理について書き物をするジャーナリズム系の授業なのだが、今日はその授業の宿題としてニューヨークタイムズの食レポ記事をいくつか流し読みしていた。

 

同じ著者の記事をいくつか見ていると、限られた文字数の中でいかに読者を惹きつけるかについて、様々な工夫がなされていることに気が付いた。

 

著者の持つ決められたフォーマットに沿って、どの記事も書かれている。

 

まず、導入部分。

各レストランの背景について、面白おかしく説明される。

例えば中国料理屋のレポであれば、「中国の治安が悪くなればなるほど、ニューヨーカーにとっては朗報である。なぜなら優秀なシェフが肥えた舌を求めてニューヨーク進出してくるからだ。」のように。

そして中国料理について米国民がもつイメージや知名度の現状を読者に再確認する。

これによって読者は興味をそそられ、また自分の持つ知識にある程度沿った情報が並んでいることで、抵抗感なく読み進めることが出来る。

 

続くのはレストランに入った時点での店内イメージである。

照明はどのようか、テーブルに配置された小物がレストランのイメージとどのように結びついているのか、ほかの客はどのような装いで、どんな会話を楽しんでいるのか。そして厨房は席からどのように見えていて、シェフはどんな手腕を振るっているのか。

この場面は重要である。なぜなら読者が初めて、経験していない情報に接する場であるからだ。個人的には、ただ写実的に店内の様子を描写している記事よりも、そのお店のモットーや文化的背景とレストランの内装がいかに結びついているかといった、写実と思考のリンクに重点が置かれた記事の方が読んでいて面白く感じた。いかに筆者の脳内インプレッションを活字に書き起こすかがミソだと思う。

 

そしてもっとも印象的であった料理のレポートへと移る。

ここでは、比喩や語彙を駆使して、いかに新鮮なイメージを書き届けるかが面白さのポイントだ。「casual elegant refreshing squash crunchy brilliant simplistic crispy chilled juicy poached marinate salty-sweet fancy mervelous delicious」といった形容的イメージの引き出しを増やさなければ、読者の目を引く記事は書けないだろう。

 

続いてちょっと意外だが、メニューの概観が書かれることが多い。

メイン、一品、デザート、ドリンク、サラダの種類が多く挙げられ、もちろん価格も説明される。ここでこのレストランが高級なのかお気軽なのか、現実的に読者は判断できる。そしてそのレストランで食事を始めるにあたって、どんな料理を最初に選んだ方がいいだろうかなどの補足情報も提供される。たとえばレモンが絞られたシーザーサラダと冷たいミネラルウォーターで、レストランまで歩いた疲れをリフレッシュできるだろう、といった具合にである。

 

そして、流石は大手メディアだけあって、店主やその家族の背景にまで踏みこんだレポートが展開される。ここまで読み続けている読者にとっては、興味深い内容になるであろうことをしっかり予測しているな、という印象を僕は受けた。店主自身の口からこだわりが明かされることで、これまでの店内、内装、メニュー、一押し料理すべてに共通するこだわりが結び付けられる。いわば点で提示されていた魅力が線でつながれる瞬間であり、読者にとっては快感である。

 

そして、「この地に来たからにはいくしかないだろう」のような短い結び、営業時間やアクセスの情報を記載して、記事は終了する。

 

 

この宿題は、最初正直言ってつまらなかった。どの食レポ記事にもあまり心を動かされることはなかった。しかし読み進めていくうちに、「僕が食レポするとしたらどうすればいいか」という疑問が浮かんできて、そのヒントを探るべく読み込んでいくと、文章の見え方が大きく変わって面白くなった。実際食レポ記事を書くために食レポを読む人は少ないのだから、こんなんでいいのかNYTとも思う。

 

しかしこの、つまらなかったものも取り組み方次第で学びの宝庫に変るという感覚は、リベラルアーツの醍醐味と言える。

 

古代ギリシャ哲学の授業は、政治理論を学ぶ場としてはいささかも実践的でないかもしれない。しかし紀元前403年の青年になり切って取り組むと、見えなかったものにたくさん気付けるのだ。たとえば、弁論を通じて相手を負かすためには、相手の理論の研究とその弁論が行われる時代、環境背景の把握、そして自己の意見の深い洞察が要求される。そしてそれらを実際に行った経験は、自身に確実にフィードバックされる。それは古代ギリシャのアッセンブリでも役に立つし、現代を生きる社会人にとっても同じく有用な経験となるのだ。

 

今回の宿題で学んだことは、他人の意見に触れるとき、もし自分がその人の立場にあったら、私はどうするか、また自分と比べてその人はどんな独自性を生かして当座の課題に向き合っているのか、といったことを考えながら対峙すると、自分の世界が大きく広がるということであった。

 

 

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自分が話すよりも、聴き手に徹しているときの方が、会話って楽しい。

だいたい気まずいな、どうしようっていうときは

「何か話さなくちゃ」

って焦っている気がする。

反対にいい感じで話が盛り上がってるな、ってときは、

「それもっと詳しく聞きたい」

って思っている気がする。

 

本当のコミュ力って、いかに自分の話をできるかじゃなくて、いかに相手の話に的確なあいづちがうてるかだと再確認した。