ヒッピーとかそういう系のはどうにも好きになれない。

 

今現代の食事がいかに産業化されているかについてのルポルタージュを読んでいて、そう再確認した。

 

ヒッピーの精神は好きだ。物質文明に一石を投じてやる的な。

 

世界ではオーガニックな食べ物が一定の人気を誇っている。

オーガニック運動とは、60年代のカウンターカルチャーの多大なる影響を受けて発展してきた。

ただ近年では、オーガニック運動自体もまた産業化され、特別な栽培方法や作物の運搬にかかるコストも含めれば、消費者のもとに届くまでに消費される総エネルギー量は、従来の「人工食品産業」のそれと対して変わらないらしい。何たる皮肉。

 

結局人間は快楽を求めずにはいられなくて、そしてその快楽とは何かの犠牲のもとに成り立っていて。

 

ヒッピーだって、ゆるぎない現実を前にドラッグとセックスに頼らざるを得なかったわけで。

 

そして一部の人が快楽を追求する限り、そのしわ寄せは環境なり労働者なりどこかに行くわけで、そんな労働者たちにオーガニックに生きろなんて口が裂けても言えないし。

 

ただ、幸運にも安定した生活が保障されている層には、快楽ではなく善を目指すチャンスが与えられている。

 

食っちゃ寝生活を続けていると、なんか違うなーってあるところで気づくのと同じように、恵まれた生活を続けているところには、善に目覚めるチャンスが眠っている。

 

そして、気づいた人が、自分の納得できる生き方を追求すればいいと思う。

ダラダラしないで、これが善だ、って思う生活をしていると、現実的にきつくても精神的には心が豊かな気分になる。

 

そうしてそういう人が世の中に増えていくと、自然に持続可能な世の中になっていくんだと思う。

 

そして善に気付くためには、情報が必要。

啓蒙的なものではなく、事実を通して読者の世界を広げてくれるような、純粋な好奇心に根ざした情報が、人を変えうる力を持っている。

 

そんな情報をより多くの人に伝えられるように、英語を勉強している。