こんにちは
マノマッジオオーナー、蔵多のり子です。
なぜ、自宅サロン:マノマッジオを開業するに至ったのか
聞いていただけますか?
私は、父(旧国鉄)の仕事の関係で小学校3回、中学校2回
高校も2回という転校生活を送っていました。
お友達になったと思えば
すぐさようなら。
そんな目まぐるしい学校生活でしたが
高校1年の時父が病気で亡くなりました。
まだ51歳の若さです。
必然的?に医療の道に。
保健師として地域住民の健康管理と
公衆衛生活動をしていました。
そんな折、
デザイナーとして、徹夜続きの生活を続けていた
姉が36歳の若さで亡くなりました。
若くして身内を2人も失った私は
姉の分までと、自己実現に向かって走り出しました。
目標を定め、勝ち取っていく。そのため転職も3回。
向上心と言えば聞こえは良いのですが、
負けるもんか~、なんて強がっていました。
今から思えば、傲慢そのものです。
それなりに自己実現していったので、
ますますパワーアップしていきました。
しかし、最後の転職を果たし、もっとー、と思っていたのですが、
大企業ゆえのままならぬ組織改革、人間関係で、夢が途切れる。
ある時から今までの付けが回って来ました。
・自己価値感のない出来事が続く
⇒ 争わなくてもそのままでいいんだよ。
・階段から転げ落ちる
⇒ (打ち身だけですんだ)もっと足元を見なさい
・トラックとぶつかる
⇒ (右足親指の骨折だけの九死に一生を得る)もっと人の役に立ちなさい
・人間関係がギクシャク ⇒ 相手をすべて受け入れるんだよ
何をしても上手くいかない。
いくら努力しても状況は悪化するばかり。
なぜ????
何が悪いんだろうと、いろいろ思い悩みました。
気づきを与えてくれる出来事だったのですが、
その時は、全く気が付かない。
まだ気がつかないの?と言わんばかり出来事が起こります。
そんな折、訪れたバンコクで
インディバの第一人者:マダム陽子と出会い、
健康を追求する施術に魅了されたのです。
これも必然の出来事だったのでしょう。
定年後サロン開業できれば、という軽い気持ちで
旅行を兼ね年2回バンコクへ勉強に通い始めました。
2011年3月11日、忘れもしない東日本大震災発生。
その年の8月、健康診断の精密検査結果で病気が見つかりました。
お陰さまで4時間にも及ぶ手術でしたが、元気に回復しました。
その時、人生何が起こるかわからない、と強く実感。
バンコクで4年間勉強できたことにも意味がある。
そして、命を与えられた感謝の気持ちがこみ上げ、残された人生をどのように送るのか。
自分の病気を通して人にお役に立つようにと、気づきを下さったように感じました。
『命ある限り、本当の健康へのお手伝いをする』という使命
そう思ったら実行に移すのみ。
会社を退職し、サロンを開業、現在に至ります。
これからもっと皆さまのお役に立てるよう、進化してまいりますので、
どうぞよろしくお願い致します。