おはようございます。養腸®家・セラピストのmanoです。
ご来訪ありがとうございます<(_ _)>
(美しい施術には法則がある(自論)。)を別の角度から。
先日読み終えた本(小説)にこんな一文を見つけました。
「美しさとは技術だ、と言ったのは、師匠だった」
さらに
「技術がないものに美は宿らない」と。
まったくその通りすぎて、頭ガツンと殴られたような
(の喩えはやや大げさですが)心持ちになりました。
施,術に限らず、技術を伴うジャンルのあらゆるものは、
技術が高いほど、その動作、所作が美しく崇高だと感じます。
美は細部に宿るとも言いますし。
見えないところ、細かいところにまで意識が行き届いていると
作品(施術、セッション、演奏、スポーツ競技でもなんでもです)たちは
洗練され、ほかの誰もが追随できないほどの美しさを纏い、放ちます。
美しいものって、目立つというより目を引くんですよね。
(昨日の羽生くんの演技も目を引く以上の何かがありました)
美しさって、見た目も関係してなくはないですが、
引き込まれるような魅力を持つ存在(≒存在感)な氣がいたします。
真の美しさって、どうして?って具体的に理由が言えないです。
存在がすでに美しいから。
逆に美しくないものや美しさと程遠いものって(見た目の話ではなく)、
美しくない理由がちゃんとあるんですよね。
美しいものには理由がなく、美しくないものには理由があるとは、オモロイ。
美しい施術がしたいと思ったら、技術を高めること。
それいて技術に走ったり、技術だけ高めてもダメで。
心(精神・魂)が入っていないと技術が高い“だけ”になります。
結局は、美しさも技術も日々の人間性を高められるよう、
常に邁進や精進していることがベースってことなんでしょね。
うんうん(書いていて独りで納得)
生きてこの仕事をしている限り、少しでも美しい施術に近づくよう、
高められるところまで行きたいものなぁ。。。
(ということは、日々の生き方に意識を向けるってことですわ)
美しい技術は、施術を受けてくださる方にも
いいカタチで伝わるだろうから。
本日も皆さまの健康と安全と幸せを願います。
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