おはようございます。養腸®家・セラピストのmanoです。
月に1~2回の頻度で、ピラティスのレッスンを受けております。
(なんだかんだで2年過ぎました…)
身体の使い方のほか、解剖学についても
教えてもらえる時間です。
身体、呼吸と腸との関連性などもこれまで以上に
理解が深まり、わたくしにとって非常に有意義で
貴重な時間となっております。
教えてくださるN先生は、常々見本を示してくださいます。
この動きが、なんとも形容しがたい美しさ。
美しさに息を呑み、ため息が出ます。
毎回、見とれ、見惚れております。
背骨の1つ1つが別っこに動いている感じ。
外側の筋肉ではなく、内側の筋肉が動いている感じ。
ムダな動きが1つもなく、完全な美というものを(あるのだとすれば)
感じるほどです。
腹筋的なメソッド(正式名称忘れました・・・💦)を
見せてくれたときの一連の動きなんて、
茶室で千利休に一服のお茶を点てて
もらっているような心もちになる感覚に陥りました。
茶室に入ったこともなければ、
当然のことながら千利休に
直接出くわしたこともございませんがね(/ω\)
N先生の動きを見ていると、思わずそういう氣持ちに
なってしまうのです。
↑↑
全てわたくしの錯覚なんです。
百も承知です。
仰向けの状態から頭、首、そして背中がゆ~っくり
ローリングされて起き上がる一連の動きを見て、
お茶を点ててもらう感覚になります?(なりませんっ)
なのに、なったんです。
N先生の肉体に、“動”の中に静寂がどこまでも
広がっていたように感じたから、でしょうか。
こんな感覚・経験をしたのは人生初でございますよ。
らせん美ですでに既知のことですが、人は
その“場”や“空氣感”を瞬時に変えることができるのを
目の当たりにいたしました。
さらに、レッスン後、椅子に座ってPC操作をしている
N先生の姿が見えました。
その姿を見て、昔話の「鶴の恩返し」で女人だと
思っていたら、鶴だった!あいやビックリしたさ~!!
のときのじさーま、ばーさまの驚きに似た感覚が
わたくしを襲いました。
念のために申し上げますが、
先生は鶴ではございません。
(わざわざ色を変えて書くことでは・・・)
鶴ではないのですが、これほど自然体でPCを
操作している人を初めて見ました。
N先生を取り巻く空氣がN先生を支えているように見えたのです。
空氣の中で浮いているように見えたんです。
重力から解放されているように感じたのです。
フェルメールの画に出てきそうな、美しい静寂がありました。
画像はお借りしました。
(このイメージに近い静寂と美しさを垣間見たのです)
PC操作の姿って、こんなに美しいの!?とわが目を疑いました。
(N先生は日常的にやっているだけのハズ)
人間は、ムダな動き、余分な動きをそぎ落とすほどに
どんどん美しく、楽で、完璧な存在に近づくことができます。
本人のみならず、美しいものを見た(り聞いたりした)人間は、
たちどころに魅了され、同時に精神性の浄化が起こります。
美しさとは、見目形の問題ではありません。
ムダのない動き≒美しい動き。
ノイズのない音や動きになっているか。
美しさとは、己と周り双方ともに幸せになる方法だと
つよく実感しただけでなく、確信したできごとでした。