おはようございます。腸セラピストで養腸家のmanoです。
何かの本に、どこかの酒好きだった高僧さまの言葉が出ておりました。
酒がわるいのではない、酒の飲み方が未熟なのだ
※朝から酒のハナシです、酒・笑アタクシはお酒はほとんどいただかないのですが、
「酒」の部分を腸に置き換えると、ようわかります。
腸がわるいのではない、腸の養い方が未熟なのだ
ってな具合に。
便秘、下痢、ガス、むくみ、冷え、低体温、肌荒れ、アレルギー、肩こり、腰痛、月経不順・・・
これらの不調の一翼を腸が担っている場合があります。
でも、それは 腸がわるいから ではないんだと思います。
ちゃんと腸のことに関心をもって、大切に、大事にしていましたか?
腸と向き合っていないとき、こうい不定愁訴でメッセージをくれるのが腸なんだと思うのです。
腸がわるいと感じるのは 結果 であって、原因 ではないんです。
これ、因果の法則なのね。宗教家でもなんでもないけど、そういうことだと思ってます。
原因があって、結果があるってこと。
まず結果ありき、じゃないってこと。
腸がわるいから便秘や下痢をするんじゃなくって、
便秘や下痢をする原因(背景)が別にあって、その結果、腸がよろしくない状態になっている、というか。
ほかの誰のものでもなく、じぶんの腸なのよ。
ほかの人の腸と取り換えることもできないのです。
ヒトサマの腸をうらやましがっても何もはじまらなかとです。
一生涯、しぬまで、じぶんの腸とつきあっていくしかないのです。
だから、じぶんの腸の特徴(特長)をしって、大事にしていくだけなのです。
それができるのは、世界中探しても、じぶんしかいないから。
あなたの腸を最後までだいじにできる唯一無二の存在は、あなただけです。