おはようございます。腸セラピストで養腸家のmanoです。
突然、 トサツ って言葉が浮かんできて、いくつか資料にあたりました。
トサツ
漢字で書くと、 屠殺 です。
魚さんとか鶏さんは〆るシーンを見たことがあるのに、
豚さんや牛さんって、ほとんど(わたしは一度も)ないのです。
魚の活け造り。
刺身になっているのに、しっぽがピチピチしている、ヒレがプルってしている
(おそらく神経の反射だろうな)
新鮮さの現れ的な演出を見ても、わたしはおいしそうとか思わなくて。
だって、これが魚じゃなくって、豚さんとか牛さんとか、ありえないけれど
人間活け造りだったら(想像力豊かすぎてすみません)
相当エグくてスプラッタなわけで。
うん、豚さんや牛さんがどうやってスーパーやお肉屋さんに並ぶのか、
その行程・過程がブラックボックスだ、ってことに氣づき、
屠殺
なのです。
ネットで探していたら、どなたかのブログでも、動画つきで発見。
※わたしは平氣ですが、ダメな方はダメだろうな。
それ以外にこの2冊
- いのちの食べかた (よりみちパン!セ)/理論社
- ¥1,050
- Amazon.co.jp
- 牛を屠る (シリーズ向う岸からの世界史)/解放出版社
- ¥1,575
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違う角度で屠殺(正しくは“と畜(とちく)”と呼びます)のことがわかります。
わたしは、わたしで感じたことがたくさんあります。
命についても、あらためて考えました。
より正確に書くなら、じぶんの“いのち”観がよりハッキリしました。
わたしは、これからも食べ物に罪はないと思うし、
どんな食べ物も受け入れる側にアレルギーとかがないかぎり、
じぶんに合った量を分け隔てなく食べることを誓いました。
生き物を殺すなんてカワイソウ
そんな考え方もある。
それはひとつに間違ってはいない。
でも、それ以外の考え方もある。
何かの命をいただきながら、じぶんが生きていることを
もっとリアルに感じ取って生きることがだいじなんじゃないかな。
食べ物だけじゃないもの。
ひとりひとりがちゃんと知ったほうがいいです。
化粧品や薬だって、たくさんの動物実験の上に、商品化されていることを。
生き物をムダに殺す必要はない。
それはハッキリ言える。
けれど、私たちは全ての「命の死」の上にじぶんの命があることを
決して忘れてはいけないんだと、思う。