おはようございます。腸セラピストで養腸家のmanoです。



最近、本ネタがチラホラ。


今、出合ってよかった本。 に出ていた本も借りました。


土を喰う日々―わが精進十二ヵ月 (新潮文庫)/新潮社

¥515
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著者は水上勉さんです。


当時、軽井沢に仕事場をもっていた水上さんが、ご自分で野菜畑をこしらえ、

そこで収穫できるもので料理をつくる12ヶ月を紹介しています。


豊かな自然あふれる情景を想像する文章とともに、

水上さん自らがこしらえた料理の写真もたくさん載ってます。

白黒なのがもったいない。

でも、実際はどんな色に仕上がったんだろう、器の色は?、、、などの想像力をかきたてられます。


手間暇惜しまず、じぶんでつくっていることがリアルに感じられる。

繊細にして力強い作品だなぁ、って。

(読後感はひとそれぞれなので、あくまでもわたしの感じ方です、あしからず)


その中で、夏大根のことをしたためてある文章があるのですが


・・・(省略)

軽井沢の夏大根ぐらぴりっと滋味をもつ役者なら大根といわれてもいいなと思うのだ。いつから、人は大根をけいべつするようになったか。不思議な気がするが、いつどこにでもあるからそういうのか。いつどこにでもあるものほど貴重なものはないのである。大根にかわって文句をいっておく。

(後略)


うんうん、当たり前のことは、ぜんぜん当たり前なんかじゃない。

どこにでもあるから、粗末にしていいなんて理由もない。

いつもそこにあるから、知らないふりするなんてルールもない。


大根のことなのに、腸のことに想いを馳せてしまいました。


腸セラピストは腸の代弁(大便?)をしたり、通訳をする役割もあるかなって思います。

水上さんが大根に代わって文句を言ってくれたように、わたし(たち)はおなかの名代として

言っているにすぎません。


ほんとうは、誰もがじぶんの腸の声を聴こうとすれば聴こえるはずなんだけれど。

聴き方を忘れてしまった人がかなり多いように感じます。


野菜も動物も腸も、もの言わぬ理由は、口のない理由は

言わなくても感じ取ればわかるでしょーと思っているからです、きっと。

(ほんとうにしゃべりだしたら、世界中から沈黙が消える・・・恐!)


それにね、声を発しないから聴こえないんじゃないんですよ。

ハナっから聴こうとしてないだけったりするの。


ユーレーとかオーラとかウチュージンが見える人がいるくらいなんだから

じぶんの腸と対話するのなんか、オチャノコサイサイなのにね~。