看護学生の時習った

ケアするためには

「根拠」が大事だと

 

根拠とは

教科書などの文献による知識や基準=専門知識

本人からの表出や看護者が観察した内容=事実

 

看護師はこの専門知識や事実から、

患者の状態をアセスメントし、

現在どのような方向に向かっており、

どのような問題があって、

どのような看護が必要なのか考える。

 

つまり根拠があるからこそ看護が成立し、

根拠のないものはただの主観、予想であり、

看護ではないということになる。

 

ケアをするためには

「根拠」があることは大事だ。

なんの根拠もなく医療をやっていては、

患者さんを危険にさらしてしまうかもしれない。

「なんとなく」は許されないのだ。

 

だが

私はこの「根拠」にずいぶんと苦しんだ。

 

【「不安」の根拠】

 

「彼女は不安を抱えている」

そう判断する根拠はなんだろう。

「不安だ」と彼女が口にしたのか?

それとも、表情が硬かったり、

言動がせわしなくなったり、

いつもと様子が違うのか?

 

もし

「不安です」と彼女が口にすれば、

それは不安を抱えている「根拠」になるだろう。

だが「大丈夫です」と言えば

不安を抱えている根拠にはならないだろう。

 

表情が硬かったり、

言動がせわしなくみえたりするのは

ただの私の「主観」である、といわれてしまう。

呼吸が乱れたり脈が速かったり?

それも不安の根拠にしては薄い。

ワクワクドキドキしているかもしれないじゃないか。

 

見るからに不安そうだし、

なんとなく感じる不安な気持ち。

なのにどうやってその根拠を示す?

だが「不安そうである」とか本当に主観でしかない。

 

そうすると極端な話かもしれないが

「不安」の根拠は

本人からの言語での表出でしか

根拠にならないということになってしまう。

 

 

【これがこの人のベースだから正常…なぜ?】

看護学生の時

患者さんのバイタルサインの評価で

すでにつまづいていた。

 

患者さんの体温測定をすると、37.1℃だったのだが、

文献には体温の基準値は36~37℃と書いてあるのだ。

基準値をやや超えてしまっているので

これは「正常」と評価するわけにはいかないじゃないか。

これは「微熱」ということになってしまうのか?

どう評価したらよいのだろう。

 

体温調節機構が正常に働かないとか、慢性的な炎症があるとか、

体温が上がるにはいろんな理由はあると思うが、

原因が不明確だが平熱が少し高めな患者さんも多くいる。

 

指導者の看護師からよくこう言われた。

「いままでの経過はどうだった?」

つまり、

今までずっと36℃台の患者さんが急に37℃台に体温があがったのか、

それとも前からずっと37℃台ベースなのか。

多くの人はこう考える。

前者だった場合は、なにか炎症などの変化が起きている可能性があるが

後者の場合はいつも通りなので、経過観察でまず良いだろう。

それが普通の看護師の「共通認識」だ。

 

だが私はその時、

指導者の看護師の言っている意味がわからなかった。

なぜ、前からずっと37℃台ベースならいつも通りで、問題ないのか。

(異常だから何かしろということを言っているわけではない。)

ただ、

「これがこの人のベースだから正常」と言われても、

それはみんなの「共通認識」によってあたかも強化されただけで、

「根拠」としては薄いように感じたのだ。

 

 

【「共通認識」という根拠】

 

私たちが「根拠」と呼んでいることは

ただの「共通認識」でしかないことも多くあるのではないだろうか。

 

その「根拠」の出どころを突き詰めたりしているだろうか。

みんなが正常と判断するから正常、

代々先輩が言っていたから正しい、みたいに

 

自分の頭で考えずに「根拠」だと信じきってはいないだろうか。