おとなになってから老人になってからあなたを支えてくれるのは、こども時代の「あなた」です。
製紙メイカーに勤めていた父の転勤で小学生の頃仙台に住んでいた。まだ政令指定都市になる前の仙台は市電も走っていたし、舗装していない道路もあちこちにあった。
私のうちは四方を生け垣と白い木の柵に囲まれた和洋折衷の平屋の一軒家だった。前庭と裏庭には四季折々の花が咲いて、大工仕事は玄人はだしの腕前の父が作った愛犬の立派な家もあった。
隣にはやはり転勤族で同い年のひとりっこのさっちゃんが住んでいた。うちも十分広かったのだがさっちゃんの家はうちの倍くらい広いし、朝、運転手の斎藤さんが黒塗りの車でお迎えにきて出掛けていく姿はほんとうに立派で、さっちゃんのパパは偉いんだと子供心に思ったものである。
両家の境の生け垣にはひとがひとり通れるほどの隙間があり、私達はそこを行き来して友情を深めていった。
さっちゃんのうちには腰の曲がったおばあちゃんがいて、腰は曲がっているけれど広い庭で鍬をふるって畑仕事もしたし、私達に色々な遊びも教えてくれた。そうそう井戸の水の汲み方もおばあちゃんから教わった。春は土筆を摘んでお浸しに、夏はいちじくをもいで甘露煮、秋は焚き火、冬は瓢箪池の薄氷を割って遊んだ。
暇さえあればさっちゃんと遊んでいたけれど、私はひとりで過ごすことも大好きだった。お人形遊び、お絵かき、ままごと、そしてなによりも本を読むのが好きだった。
父にねだって岩波書店の本を片っ端から揃え、ドリトル先生、メリー・ポピンズ、大草原の小さな家などなど、この頃に出会えたことを40年以上たった今でも本当に感謝している。
その後、さっちゃんと私は相前後して東京に居を移すことになる。さっちゃんと過ごした時間は3年ほどであるが、あの頃の甘やかな記憶が今の私を支えているように思えてならない。四季折々の暮らしのなかで育んだ感性が今の私の土台なのだ。
タイトルの言葉は、児童文学者の石井桃子先生のものだ。わたしはこの言葉にどれほど勇気をもらったことか。わたしには幸せだったこども時代があるのだから、どんなに辛くとも前に進もうと思わせてくれる魔法の言葉である。 (吉田)

初めて大丸に出店した時のお疲れ様会
私のうちは四方を生け垣と白い木の柵に囲まれた和洋折衷の平屋の一軒家だった。前庭と裏庭には四季折々の花が咲いて、大工仕事は玄人はだしの腕前の父が作った愛犬の立派な家もあった。
隣にはやはり転勤族で同い年のひとりっこのさっちゃんが住んでいた。うちも十分広かったのだがさっちゃんの家はうちの倍くらい広いし、朝、運転手の斎藤さんが黒塗りの車でお迎えにきて出掛けていく姿はほんとうに立派で、さっちゃんのパパは偉いんだと子供心に思ったものである。
両家の境の生け垣にはひとがひとり通れるほどの隙間があり、私達はそこを行き来して友情を深めていった。
さっちゃんのうちには腰の曲がったおばあちゃんがいて、腰は曲がっているけれど広い庭で鍬をふるって畑仕事もしたし、私達に色々な遊びも教えてくれた。そうそう井戸の水の汲み方もおばあちゃんから教わった。春は土筆を摘んでお浸しに、夏はいちじくをもいで甘露煮、秋は焚き火、冬は瓢箪池の薄氷を割って遊んだ。
暇さえあればさっちゃんと遊んでいたけれど、私はひとりで過ごすことも大好きだった。お人形遊び、お絵かき、ままごと、そしてなによりも本を読むのが好きだった。
父にねだって岩波書店の本を片っ端から揃え、ドリトル先生、メリー・ポピンズ、大草原の小さな家などなど、この頃に出会えたことを40年以上たった今でも本当に感謝している。
その後、さっちゃんと私は相前後して東京に居を移すことになる。さっちゃんと過ごした時間は3年ほどであるが、あの頃の甘やかな記憶が今の私を支えているように思えてならない。四季折々の暮らしのなかで育んだ感性が今の私の土台なのだ。
タイトルの言葉は、児童文学者の石井桃子先生のものだ。わたしはこの言葉にどれほど勇気をもらったことか。わたしには幸せだったこども時代があるのだから、どんなに辛くとも前に進もうと思わせてくれる魔法の言葉である。 (吉田)

初めて大丸に出店した時のお疲れ様会