人は外側にあらわれた問題や悩みがあると、



「その原因はコレです」という



何かを知りたくて、



その何かを一生懸命掴みたがるけど、











内側にあるその種は、



とても抽象的で、



また外側にあらわれるときには、



具体的で、多様性があり、



アレにもコレにもなりうるんですね。













だから、これが原因だと思えた、



その出来事や体験を必死に掴んで、



それを無くすために、



それを変えるために、



それにこだわって、



その原因に何らかの方法で対処をしても、






実は掴めたようで、



指の隙間からサラサラとこぼれ落ちるように



本質を掴めていないことがよくあります。













なぜなら、その種は、



とても抽象的で、「あのときのあの出来事です」といったようには、



差し出せないようなものだったりするから。











その抽象的な種は、



「役割」としてあるこころの反応や働きに、



「とらわれている」と生じてしまうのね。









その種は、



当たり前のこころの働きの側面でもあり、



問題や悩みの種にもなりえる



表裏一体、同じ種ということ。