ヴァイオリンのための音楽
木曜日はヴァイオリンの稽古が休みの日だった。
それ以外の毎日は先生のところでヴァイオリンの練習をさせられるのだ。
そのせいで放課後同級生とも遊べず指を痛めたらダメだからと言う理由でドッジボールさえ許されていなかった私には友達と呼べるものがいなかった。
だから木曜日は私のとって唯一の休息日だったのだ。
そして
その小さな老人は必ず木曜日に校門の横に座っていた。
小さな折りたたみ椅子に腰をかけ持ってきた大きなトランクを机がわりに置いてそこで子供達相手に商売をしているのだ。
今ならすぐに追い出されるところだろう。
だが当時はどこの小学校だってこういう子供相手のもの売りが必ずいたものなのだ。
その老人は大きな消しゴム程度の大きさの型を持っていてそれは飛行機だったり軍艦だったり戦車だったりどこかで見たような漫画の主人公だったり人形だったりした。
それを朝登校して来た子供たちに粘土を詰めさせて型抜きさせると帰りには乾燥して硬くなっている戦車や人形に色を塗らせるのだ。
出来上がると老人はそれを採点して一番出来がいい子供にもっと大きな特別の型を出してくるのだ。
それに粘土を詰め色を塗れば子供達の羨望の的になれる。
手先が器用だった私はすでに何度かこの大きな型で作らせてもらっていて老人のお気に入りだった。
ある暑い日だったが老人は小さな鳥籠を持っていてその中には見たこともないとても小さな鳥が入っていた。
しかもその鳥は老人そっくりの声で
「さあ やらんかね!」
と私に声をかけたのだ。
「これか?面白いだろ?最近手に入れたとても珍しい鳥なんだ」
とても小さくて親指程度の青い鳥だったが声真似をする以外はピクリとも動かないので見た目はオモチャのようにしか見えない。
からくりみたいなものじゃないかと思ったが老人はちゃんと生きているといい餌を出すと鳥はようやく止まり木から餌箱に移り餌を食べ始めた。
私はどうしてもその鳥が欲しくなってしまい老人にねだると老人は初めて見る特別に大きな型を出して来た。
それはバイオリンを弾く少女で背景には大きな鳥がいるレリーフだ。
「これをやってみな。これが上手くできたら褒美にこの鳥をやろう」
型さえうまく抜ければあとは色を塗るだけでなので配色とどれだけ正確に塗れるかということなのだがどうも老人の中での配色があらかじめ決まっているらしくそれが一箇所でも違うと認めてもらえない。
私は何度も作ったがなかなか老人は認めてくれなかった。
だがある日唐突に老人は来なくなったのだ。
校門での商売ができなくなったからだ。
PTAの愚かしい母親達が子供の教育に不適切だと学校にクレームをつけたのだ。
老人はいなくなり子供達は放課後野球や喧嘩などに明け暮れるようになった。
あの老人と偶然再会したのはそれから一年ほど経った縁日の屋台だった。
老人は相変わらず子供達に粘土を買わせて型に詰めさせていた。
私を見つけると「久しぶりだな」と嬉しそうに笑った
屋台の錆びた骨組みにあの鳥かごがかけてあって中にはあの小さな鳥がいた。
老人は
「ほれ これをやろう」
そう言って小さな卵をくれた。
「約束を破っていなくなったからな 鳥はやれんがこの卵をやるよ 暗いところに置いておけばかえってこの鳥になるよ」
私はそれを自分のヴァイオリンの中に隠した。
ちょうどヴァイオリンのFの形に開けられた先端の丸いところと直径が同じくらいの大きさでそこから中に入れることができたのだ
母親は生き物を飼うのを嫌っていたので隠す必要があったが家の中のどこに隠してもすぐに見つけられてしまうだろう。
でもヴァイオリンの中ならいつも自分の手元にあるしまさかその中を探したりはしないと考えたのだ。
それから一ヶ月ほどしたころヴァイオリンの中で鳥がかえりカサカサと動き回っていた。
老人に教えられた通り小さな蜘蛛とその巣を入れてやるとそれはスルスルとヴァイオリンの中に引き込まれカツカツとついばむ音が聞こえた。
姿は見えなかったが鳥はヴァイオリンの中で成長してるようだった。
1年ほど経つと鳥はヴァイオリンの演奏を真似るようになった
それはまるで録音機のように正確でヴァイオリンで演奏しているとしか思えないものだった。
私は鳥を利用することを覚えヴァイオリンの練習をしなくなっていた。
先生の演奏をそのまま鳥に真似をさせればそれで練習は終了だからだ。
突然うまくなった私のことを先生は訝しがったがそれでもそれを自身の成果として喧伝する方が大切と思ったようでそれからはあちこちのコンテストや演奏会に引っ張り出されるようになった。
母はとても喜び天才少年として騒がれたが結局中学生になる前に全ては終わってしまった。
私の演奏は常に誰かの精密なコピーにすぎずそれでは演奏家として成立しないと批評家達に酷評されたからだ。
私はそれからどれだけ誘いがあってもそれを理由に舞台に立たなくなっていた
表向きの理由は評論家の酷評に対してだったが実際は鳥がもうその時には死んでいたからだ
中の様子を見たわけではないので本当のところはわからなかったが酷評されどうにかしようと色々なヴァイオリンのCDを聞かせても鳥は声真似をせず大好きな蜘蛛も蜘蛛の巣も食べなくなっていたのだ。
母親は落胆し潮が引くように全てが過去のものになり私もいつかヴァイオリンをケースから出さなくなっていた。
それはもう全てが夢のような出来事にすぎず誰も思い出さなくなった頃私は家を出てそれから長い年月が経過した。
父親から呼び出されたのは長く病床にいた母親が息を引き取ったからだ。
あらためてそのヴァイオリンを見たのは母の葬儀のあとだ
大切に仕舞っていたらしいヴァイオリンを客が引き上げたあと父親から手渡されたのだ
私はそのまま家に持ち帰ったのだがあれからあの頃の記憶がまるで夢のように曖昧なものでしかなく私はあれが現実だったのかどうかをどうしても確認する必要があったのだ。
それで職人に頼んでヴァイオリンを切断してもらった
そうすると
縦に割られたヴァイオリンの中には鳥の骨格がそのまま残されていたのだ
鳥はヴァイオリンを表皮のようにしておそらくヴァイオリンそのものになっていたのかもしれなかった
あの日々は夢ではなくただの現実だったのだ
私は壊れたヴァイオリンとその鳥の残骸で卓上を照らす為のスタンドを作らせ
今もそれは机の上で読むべき書物を照らしている
母親が何故私にヴァイオリンを弾かせたかったのかはわからなかったが
結局その誰も顧みる事のなくなったヴァイオリンを彼女は捨てる事が出来なかったし
私も夢か現実かの確証こそなかったが記憶だけは今でも鮮明に焼き付いている
今は時々だがこのヴァイオリンのランプで本を読む時に母親が好きだった楽曲をかけている
それは
あの夢のような日々と今は遠い母親の為に。