「ヴァイオリンの為の音楽」 | マンタムのブログ

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この世にタダ一つしかないカタチを作ろうとしているのですが出来てしまえば異形なものになってしまうようです。 人の顔と名前が覚えられないという奇病に冒されています。一度会ったくらいでは覚えられないので名札推奨なのでございます。

「ヴァイオリンの為の音楽」




ときどき かさかさと音がしてそれがずっと気になっていたのだ

練習をしたくても構えたヴァイオリンに弓をあてようとすると必ず音がして

それが気になって集中出来ないのだ



勿論先生には何も聞こえないので

私のやる気がないからと母親に告げ口されてしまう

母親はその度に私の手を小さな枝で打ったが

だからといって音が消える事はなかった



私はその音が小さな悪魔がヴァイオリンの中でなにか呪いの儀式のようなことをしているように思えて

恐くて仕方がなかったのだ

だから折角買ってもらったヴァイオリンもちゃんと演奏される事はなく

私はいつまでたってもきぃきぃと小さな獣の鳴き声のような音しか出せないままだった










ある夜 

月の光が窓から差し込んで

ヴァイオリンを照らしていたときに

ヴァイオリンが不自然に動き机から落ちてしまった

慌てて拾いあげたのだが背板が少し浮いていてそこからなにかが這い出そうとしているのが見えた




月の光に照らされたそれは間違いなく人の指に見えるものだった

白っぽく細い指がその浮いた背板から這い出そうとしていたのだ

とても恐くてヴァイオリンを投げ出したい衝動にとらわれたが

それよりもその細い指の事が気になってどうしても目が放せなかった



やがて月の位置が変わりヴァイオリンが影の中に入ったので 

ようやくヴァイオリンを放せたのだが

朝になってみると背板は元通りになっていて、Fホールから覗いて見ても振ってみても

指のようなものの気配さえ感じることは出来なかった









その事があってから私はますますヴァイオリンとその稽古から遠ざかるようになり

やがてヴァイオリンも何処かに仕舞われたまま私の目に触れる事さえなくなっていた


あらためてそのヴァイオリンを見たのは母の葬儀のあとで

大切に仕舞っていたらしいヴァイオリンを客が引き上げたあと父親から手渡されたのだ


私はそのまま家に持ち帰ったのだがあれからずっと頭を離れる事がなかったあの月の夜のことが

どうしても気になったので職人に頼んでヴァイオリンを切断してもらった


そうすると


縦に割られたヴァイオリンの棹の付け根のところから

細長くて白い(死んだ母親の指を思わせるような)水晶が出て来たのだ

それは夜の月のようにほの青く光りその光が私の目の中に差し込んで来た

その光はとても不思議な感触で既に遠くなった母親の記憶を想起させるのに充分なものだった








私は壊れたヴァイオリンとその水晶で卓上を照らす為のスタンドを作らせ

今もそれは机の上で読むべき書物を照らしている


母親が何故私にヴァイオリンを弾かせたかったのかはわからなかったが

結局その誰も顧みる事のなくなったヴァイオリンを彼女は捨てる事が出来なかったし

私もその頃の記憶だけは今でも鮮明に焼き付いている


今は時々だがこのヴァイオリンのランプで本を読む時に母親が渇望し弾けなかった曲をかけている

それは



あの月の夜と今は遠い母親の為に。