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チトラのブログ

◆ 母の肺の腺がん ◆ 大きさステージⅣa 転移ステージⅡ 1010年9月28日判ったです ◆
肺の腺がん2020年9月16日に確定、2020年10月19日から初めての抗がん剤治療入院~翌月11月5日17時19分天国へ★あまりに急変で、置いて逝かれちゃった

19日。

チトラ・お昼ごろ・救急車を・呼びました。

背中が・咆哮?雄たけび?を・あげるほど

ここ数日・痛かったようなので。


レントゲンの結果は・問題箇所は・ないようなのですが

今日・かかりつけの先生に・診てもらえるようなので・大丈夫だと・思います。


6月の・腰の骨折もあり。

原因は・まだ・解かりませんが。

血液検査などもするので・成分の結果。悪い箇所が・わかってくるかと思います。


病院にいれば・安心です。


当日。おにぎりを・私に要求してくるほど。

食欲は・あるようなので・大丈夫だと思います。

おせんべいも・少し・つまんでました。

パソコンの遣りすぎと、原稿の書きすぎで、背中全体に筋肉痛を起こしてしまいました。

皆さんは、どうでしたか。

私は、熱中し切りまくりました。

暫らくの間は、痛みが緩和されるまで、ブログが一日置きか二日置きになりますが、今後も宜しくお願い致します。

私は、夫Kが何とか、息子が幼稚園に上がる前に、裏家業の競馬のノミヤを止めさせようと、私が、色々と模索している時、慶応大学の側に譲渡で居抜きの、30坪位の喫茶店が出た、私は、どうせKに話しても、喧嘩になるだろうと、思いながら、この喫茶店の話をKにすると、Kは、やる気満々になり、直ぐ私と店を見に行き、客の入りを見て遣ると言い、話は、トントン拍子に進み契約をした。

店は1ヵ月後に明け渡すとゆう事だった、私は、当然Kが、この1ヶ月間の間に、私と子供を見ながら、仕事を覚えると、思っていたら、Kは、契約した後、私に今直ぐ競馬のノミヤは、止められない、まず、お前が先に、子供を見ながら、仕事を覚え、俺もノミヤを止める準備をしなければならない。

と言って、仕事の事と子供の事を私に押し付け、Kは、巧妙に私を惑わし誘導する為にノミヤの客に気を使っていて、大変で、忙しいと、ゆう素振りを見せ付けていた。

そして、店の明け渡しが近づいた時、店の契約者と地主の喧嘩が元で店が出来なくなってしまい、払ったお金も分割で返してくれるとゆう事になったが、私は、Kにネコババされました。

その後のKは、相変わらず、遊びに明け暮れている時、Kの遊び仲間から、Kが覚せい剤を遣っていると、言う噂がパットと広がり、まもなくKは、競馬のノミ行為で捕まりました。

家も家宅捜査を徹底的に受けました。

私は、Kの事が心配で、直ぐ弁護士を付けましたが、Kは弁護士を、愛人との連絡係り使ったりしていた。

Kは、捕まっている間に、益々悪知恵と人を惑わす事が巧妙に磨ぎ棲まされて行った。

警察から、帰って来たKは、直ぐ客に挨拶に行くと言って、女の所に行ってしまった。

それから、暫らく経ってKは、輸入行をやると、言って、会社を興しましたが、全部、偽物で、得体の知れない人を、私に相談無しに、社員と決め、私もKに、仕入れに行くと言われて、怪しげな場所に何回か連れて行かれた。

私は、この輸入業を始めて、息子が、幼稚園を卒業するまでの間に、Kと離婚を4回しています。

私は、Kに真人間になって欲しくて、色んな行者の元を渡り歩きましたが、一向に良く為らず、子供の将来の事を考えると、我慢が出来ず、何回も大喧嘩の末Kとは離婚しましたが、Kは、その都度、一日二日で帰って来て、私の前で、私が許すと、ゆうまで泣き崩れ、私も、その都度、子供がいるんだから、今度は、大丈夫だろう、今度こそホントだろうと、信じてしまいました。


子供達は、離婚した事で名前が変わり、嫌な思いをしたことで、以後、離婚した事で名を変えるとゆうことは、しなかった。

私が、名前を変えなかったのは、何回も離婚していて色んな手続きが、面度臭かった事と、私自身が、Kは、嫌だけど、名字は、好きだった。

私の夫Kは、娘が小学校を控え、息子も幼稚園に上がるとゆうのに、一向に裏家業の競馬のノミヤを辞めようとしないで困りました。

づうっと後で、分かった事は、この当時、Kが何回か、家裁道具を家に持って帰って来て、私にKは、金持ち、とゆうのは、こーゆう、電化製品とか家裁道具を、3年から5年で取り替えるだよ。

勿体無いから貰ってきた、と言って家に持って来たが、実際は、女と別れる度に、Kが女に遣るのを、惜しんで、持って帰って来ていた。

競馬のノミヤをKが止められなかたのは、泡銭で女遊びが出来なくなる事と、高いルートで遣る賭け事と、汗、水垂らして、働きたくない、とゆう事だけでした。

この頃から子供の事でKに裏家業を辞めさせようとして、何回も喧嘩になり、私は、精身的に疲れ切ってしまい、ある日の朝、目が覚め子供達の寝顔を見た時、生きているのが、嫌になり、このまま一人で、出て行って、死んでしまおうと思った時、後に残る子供は、どうするんだ。

どうしょうもない、Kや、Kの親、兄弟に見られ、ろくな者に育たない。

それでも、良いのか、とゆう事が、ふっと頭に浮かび、このまま子供を置いて、家を出る事が出来なくなり、私は、子供と、死ぬことを、決意して、部屋の隙間にガムテープを貼り付け、ガス栓を開けた。

ガスを開け私は、もう考える事も無く、ボーとしていると、今まで聞いた事も無い、可愛い綺麗な声が聞こえた。

声のする方へ目を遣ると、息子が、両腕を水平に上げ、そのままの、姿で、私の周りをソロリソロリと回りながら、(この時の声は、息子の声では、有りません。)ママーママー、ママは、ちっともコッチを向いてくれない。

私は、ボーとしながら、そんな息子の口から出る言葉を何回か聞かされている内に、私は、はっと気が付き、私には、子供を育てなければいけない、義務と責任が有る。

と分かった時、ガス栓を止め、家中の窓を開けて、二人の子供を強く抱きしめた。

涙が溢れて止まらなかった。

そして私は、夫が真人間になれる、良い方法が必ず有る筈だと、色々、考え、色んな行者の元を渡り歩くようになって行った。

今日は、猫と犬のご飯を買いに行って、時間が掛かってしまい、書けませんでした。

どうも済みません。

また、明日から書きますので、今後も末長く宜しくお願い致します。