日本の精神文化についてお話を致しております「日本に息づく心配り〜Les point de vue de Les Misera〜」の浅海です。
先日、ブログ『大分・真木大堂』に記した真木大堂から大分空港に向かう際、杵築駅でバスに乗り換えました。
杵築駅。お立ち寄りになったことはございますか?
私は初めて降り立ったのですが、駅にこのようなポスターを見つけました。
“その独特な生活文化の中で、
人々の暮らしを豊かにする
あまたのものが育まれてきました。”
“そんなきつきの日常を織りなすもの、
その類まれなる価値への「気づき」。”
この2つの文章が心に響き、思わず写真を撮ってきました
この「日本に息づく心配り~Le point de vue de Les Misera~」でお伝えすべき使命の一つが、この“気づき” なのです。
ホームページの「Message」にも記していますが、 私たち日本人には多くの誇れる知識や歴史、文化、風土から生まれた慣習や習慣があり、それらをDNAとして少なからず受け継いだり、教えられたりしてきているはずなのです。
まずはそれに気づいて欲しい。
“当たり前”の中に、実は“特別な、誇れること”があることを。
お相手を思いやる心が存在していることを。
気づくということは、心配りには欠かせない能力です。
目配り、気配りをして気に留まらないことには、心配りすることは不可能なのです。
マナー、所作というと、皆さん、身につけることだけに必死になりますが、私は、お相手がしてくださった心配りに気づく能力は、それと同じくらい、大切なことだと思います。
どなたかが、包み方、用箋、所作等でお気持ちや格を表現してくださったときに、こちらがそれに気づく能力や、心の余裕、視野といった物事を備えていなければ、この関係が豊かになりことはありません。
人の想いを想いとして、きちんと受け取れる人であること。
この視点はとても大切です。
世の中に、より多くの豊かな関係が存在することを目指して、これからも活動して参ります。