2007年2月5日~8日 広州・桂林・上海4日間の旅

JALPAKツアー AVAベストコレクション


【メンバー】 まんぼー・まんぼーの父・母・姉・妹


2月5日(月)の足跡


【旅の行程】

 ●自宅(AM5:00出発)→実家家族と合流→バス→中部国際空港

 ●中部国際空港→飛行機(機内食)→広州空港
 ●広州空港→車→:広州観光・夕食
 ●広州空港→飛行機桂林空港
 ●マイクロバス送迎

【宿泊地】 桂林賓館



朝5時出発。まだ外は暗い。同じ市内に住む妹を拾って浜松西ICへ。ここから中部国際空港行きのバスが出ているので便利。名古屋発9:55なのだが最近は空港で異様に時間がとられるので早めに到着。案の定、出国審査・身体チェックに時間がかかることかかること。


無事出国を済ませて搭乗。広州までは飛行機で約5時間。途中で1時間の時差がある。到着した広州で待っていたのはガイドのヨウさん(女性)。たどたどしいが、日本語もOKのベテラン女性。ラッキーなことに車1台・ガイド1人貸し切りだ。

広州の第一印象。


きたねー!


まさに、巨大な大阪。(大阪府の方ごめんなさい)ものすごい排気ガスと恐ろしい数の人、所狭しと聳え立つ建物の群れ・・・・広州は自動車の町、というだけあって恐ろしい数の車が交通ルールなどまるで無視して走りまくる。ここには秩序などない。1車線のところを2台分の車が走っていたり、信号無視だったり、歩行者は横断歩道もないのに平気で横断する。これには仰天。信号などあってないようなものだ。さらに、広州ではバイクで公道を走ることを禁止する法律ができるのでもっと車が増えるそうだ。車増やす前に交通整備を何とかしろよって気がするが・・・ちなみに、ヨウさんいわく、


中国では歩行者優先でも車優先でもありません、勇気優先です。


このフレーズはこのあと他のガイドからもずっと聞き続けた。そんなんアリか汗


最初の観光地、広東省の重要文化財、「陳氏書院」です。いってみれば清朝末期に陳一族が祖先を祭るために作った建物で、伝統文化だそうです。



ああそうかい、って気もしますが、凝ったつくりはきっと価値があるんだろう。確かに彫刻が素晴らしい。

私には豚に真珠ってトコですが、ここでは豚に象牙または翡翠。みやげ物売り場には象牙商品と翡翠がたくさん売られてました。綺麗だけどバカ高い。


 これ象牙・・・。

続いて行ったのは中山記念堂。孫文が日本に身を隠した時に自分のことを「中山」と名乗ったそうだ。だから中山記念堂。よくわからんが今は多目的ホールとして使われているらしい。言って見れば日本の武道館か。あまり感動のない私たち。


 銅像は孫文さんです。

そうなのだ、いくら車に乗って移動とはいえ、空気の悪さ、車の多さ、人の多さ、汚さに、家族一同疲れ果ててしまったのです。何しろ温暖で環境抜群の静岡県で暮らす私たち、この環境が辛くて仕方ない。みんな口には出さないが「何で私たちはこんなところに居るんだ・・・?」と顔に書いてある。たった1日であの澄んだ空気の、綺麗な国、日本が恋しくなってしまうくらい。空気が汚い。光化学スモッグが大地を覆い、ビルの高層部分はかすんで見えないくらい・・・青い空が恋しいよぉ。


なんとなくげんなりしていた私たちはお茶屋に連れて行かれた。観光客用のみやげ物お茶専門店だが、お茶を入れてくれつつ、お茶についての知識を教えてくれる。ウーロン茶、ジャスミン茶、ロンジン茶、プーアル茶、さすがの中国お茶三昧。お茶大好き一家の私たちはやっと一息ついてお茶を楽しむ。しかし、リラックスしたあとはみやげ物売りつけ猛攻撃だ。ものすごい勢いでみやげ物を買うように勧められる。勘弁してくれー!と思いつつ、鉄観音ウーロン茶を買ってしまった。たぶんぼられているだろうが・・・


その後、横浜中華街のような町並みにある料理屋まで移動。町並みを見ていると先ほど買った鉄観音ウーロン茶がぼられまくってたのがわかる。商店街のお茶の安いこと安いこと。しかし、あまりに店も種類も多くてどれが良いお茶なのか見分けがつかない。うーん。何しろ、広州は問屋の町。とんでもない数の卸問屋が乱立しており、あらゆる種類の商品が洪水のようにあふれているのだ。なかなか目利きでもない限り選びぬくのは難しい。そして偽物商品がこれでもかというくらい堂々と大量に売っているのだ。何も買わずに料理店へ。やっと喧騒から逃れて一息つけた。食事も広東料理だけあって、味もきつくなくて日本人好みの食事だ。


食事のあと、桂林へ移動。飛行機の便が限られているのでどうしても夜の移動になってしまうのだ。それでも急遽、飛行機の便が変更になり、予定より1時間早い出発となった。あまり遅いと疲れてしまうのでちょうど良かった。広州を夜8時に出発、桂林に着いたのは夜9時を過ぎていた。中国ってホントに広いよなぁ~。


桂林についておや?と思う。空気が広州に比べて澄んでいる気がする。そしてネオンも騒音もうんと少なくてなんとなく落ち着く。田舎ものにはこの静けさがやはり落ち着く。今度のガイドはテイさん。こちらもベテラン女性で快活な人だった。空港から約30分ほど車で移動、こちらは信号がないので30分といえ相当な距離を移動したに違いない。やっと宿泊先の桂林賓館についたころには10時を過ぎていた。私たちは泥のように眠った。



2005年7月23日 西伊豆浮島海岸 シュノーケリングツアー


●メンバー まんぼー・まんぼーの姉・妹・まてぅさん
●行き先 西伊豆 浮島海岸
●昼飯 新造屋


出発は朝5時、浮島海岸に到着したのは午前9時ごろ。
天気は曇り時々雨、気温は低い。
浮島海岸

さっそくシュノーケリング装備をし、三十路4人衆は果敢に海に入る。
づ、づめた~い!!!水温がとても低いのである。
それでも潜らずにいられないくらい透明度高し。
以前来たときよりずっときれいなんだもん。
お魚がたくさん。熱帯魚いるし、きびなごの群れ、いわしの群れ、赤うつぼ・・・いつも潜るたびに思うのだが魚の種類と名前をもっと覚えたら楽しいのに。


今日は美味しそうなのがいっぱいいるなぁ、とうれしくなりました。
・・・しかし寒すぎ。
2本目潜ったところで手足がしびれて麻痺してきた。
全員青い唇で上陸し、早々に退散。


気がつくとお昼なので昼ごはんを食べに「新造屋」へ。

新造屋2


メニューには私がこよなく愛する鮑が、鮪が、鰹が・・・う、うまそう。
新造屋

しかし旦那に黙って鮑を食べたら殺される。鮑は次回にしよう。

刺身&煮魚定食で2100円。

目の前でご主人が魚をもりつけているので私の視線は美味しそうな魚たちに釘付け。
あ~あわび・・・と熱い視線で見つめていたら「そんなに見つめられたら鮑が燃えちゃうよぉ~今度来たときにサービスしてあげるからさ~・・・」とご主人。
私の食い意地光線は脅しか?


その後近くの町営温泉「せせらぎの湯 」へ。
やっぱり伊豆は温泉が多くていいね。


帰りに土産屋に寄り道したらツバメの巣が軒下にたくさんいました。
つばめ

心太とえびせんべいを旦那に買いました。心太って最近ブームなの?

土肥からは清水行きの西伊豆フェリー に乗って楽をする。
フェりー

新しい船の就航が決まり本数が増えたらしい。わずか60分の船旅だけど、冬から春にこの船に乗ると富士山が綺麗に見れるんだよね。

船が大好きなのでうきうきして乗ったのについ爆睡してしまい、気がついたら清水港でした。



【参考:楽しいシュノーケリング☆伊豆日帰り編】

持ち物
●シュノーケリング3点セット (マスク、シュノーケル、フィン)
●グローブまたは軍手 (岩場を潜ることが多いからあったほうがいい)
●マリンブーツまたはマリンシューズ (絶対にあったほうが安全!)
●水着とラッシュガード長袖 (ダイビング用でなくてもいいがなるべく肌を出さないほうが安全。日焼け防止にもなる)
●日焼け止め。(徹底的に!)
●甘いもの (体力補給のため)
●入浴セット (伊豆は温泉だらけです。温泉でさっぱりしよう)
●帽子、ござ、パラソル、バスタオルetc・・・


シュノーケリングセットは安いもので十分。ラッシュガードもなければTシャツで。


●補足:妹いわく、ファッションを気にしないのであれば水泳帽がお勧めなんだそうだ。泳ぎやすく、髪の毛の中の日焼けがないんだと。



2005年7月14日~16日 西表島の旅


7月16日(土)の足跡

<予定変更>
●西表島→船高速船→石垣島桟橋
●石垣島桟橋→車タクシー→石垣島空港
●石垣島空港→飛行機飛行機→沖縄(乗り継ぎ)飛行機→中部国際空港
●中部国際空港→車
あつた蓬莱軒 車→自宅


この日は予定変更、急遽帰宅を余儀なくされた。その一部始終。


シーカヤックに行く予定だった。朝早く部屋の電話が鳴る。
「もしもし、シーカヤックのパドルラティークです。今日は良いお天気なんですが、かなり大きな台風が近づいていています。中止したほうが良いかと思いますがいかがいたしますか?」
な、なんですと??急いでテレビをつけると、ドでかい台風が近づいてくるじゃありませんか。
「ちゅ、中止してください、か、かえりまーす!!」

実は旦那様は明日までに帰らないと、あさって昇任試験が待ち構えているのだ。そんなときに行く奴もアホなんだけどいまさら日程変えられないし・・・いくら初回試験は落ちると決まっていても「遊んでて欠席」はさすがにやばい。

ここからが戦争である。大急ぎで帰り支度をして朝食。外を見る限りじゃ相変わらずののどかな風景でも台風5号はすぐそこまで来ている。レンタカーを返し、速攻石垣港行きの船に乗る。波はもう荒くなってきて、せめて台風到着前までに那覇に着かなければ。船の中から携帯電話で旅行会社に連絡を取るが話し中が延々続き連絡がとれない。そうこうしているうちに港に着き、タクシーに飛び乗り空港へ。


旅行会社と連絡が取れないため、払い戻しが出来るかもわからない。チケットには「台風等による欠航の場合は払い戻しますが、基本的にお客様都合の払い戻しはしません。」とあるが・・・今のところまだ飛んでるんだよね。ええい、背に腹はかえられん、と即金(41200円!)で那覇行きのチケットを買った。しかしキャンセル待ちである。石垣島にいる旅行者がいっせいに島外避難に出たんだからどの便も満席状態なのである。キャンセル待ち??と焦ったものの、実際すぐに空くんだよね。旅行取りやめの人もいるからかな?

で、無事石垣島脱出なのである。


那覇までくれば台風の脅威もひとまずクリア。のんびり帰れるのだがそうなると今度は守銭奴精神がみなぎってくる。那覇から中部国際空港行きのチケットを握り締め、チケットカウンターへ。「台風来ちゃうから、帰れなくなっちゃう。お願い。チケット交換してー!!」しつこく頼んだのが功を奏したのか「わかりました、例外的に受け付けますよ、どうせ台風来ますからね。」ということでチケット交換成功。こうなるとさっき払った石垣→那覇便で支払ってしまった41200円が惜しい。中部国際空港に着き次第またまたチケットカウンターへ直行、事情を話し、「旅行会社に連絡とっていただかないと・・・」というのをあきらめず懇願し、なんとか41200円の取り戻しに成功!


こうして無事余計なお金は出さずに予定変更できたのでした。気が大きくなってしまった私たちは熱田神宮近くのうなぎ屋「あつた蓬莱軒」へ。守銭奴の癖に食事には財布の紐が緩む私たちはビールと「ひつまぶし”並”&”大盛り”」を頼みたらふく食べて帰ったのでした。