下書きしていた記事を何気なくチェックしてみたら


数年前に書いた記事があった。



あの時の私はこんな事を思っていたんだ…


今も変わらない気持ちだなぁって思って



数年の時を経て、そのまま投稿することにした↓



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2021.7.20   00:27


スマホの写真を見ていたら、どこかに指が触れて、随分と昔の写真に飛んだ。

(この記事を突然書き出したきっかけ)



まだ大好きな祖父が生きていて、元気な祖母がいた当たり前の何気ない日常が写された日の写真。


私が社会人になってからかな、毎年恒例となった家族旅行。

旅先で入ったレストランの壁面がまるで海外であるかのように素敵で。

箱根だったかな。

まだ祖父も元気、祖母も元気、母の表情も今とは違うし父も若い。


祖父母、はじめての携帯。確かこの時、手続きにすごく時間がかかった。

ちょっとそこまでのおでかけでも革靴にジャケットに帽子をきちんと身につけて、紳士。

可愛い2人の後ろ姿。

写真を見ていると、今にも振り返って「まなちゃん、待たせてしまって悪かったね。助かったよ、ありがとう。さぁ帰ろう。」にっこり笑って歩き出しそうに思えるよ。


私が結婚して大阪に行ってからの家族の時間。

みんな穏やかな幸せな笑顔。

離れていても家族の幸せな様子を見て自分も幸せだった。


元旦はいつも家族そろって新年のご挨拶をして、みんなでお節を食べて、たわいもない話をして。

それぞれがそれぞれのことをしていても、同じ空間にいるだけで良かった。


大阪から実家へ遊びに帰ってきた11月の日曜日。

この日、祖父は仕事があったけど、癌の痛みで立っている事も出来なくて家に戻ってきた。

寝ていたのだけど会いに行ったら起きてくれて、息子を(祖父から見たらひ孫)抱っこしてくれた。

祖父は昔からこうやって惜しみない愛情を、見返りのない愛をくれた。

祖父のにおいを今でも思い出す。


亡くなる1ヶ月半ほど前。

今見返すと顔が少し浮腫んでいる。

冬になると着ていたちゃんちゃんこと手編みの膝掛け。

デロンギのヒーターを入れて「まなちゃん、スリッパを履かなくて寒くないのかい?」ってスリッパをいつも履かせてくれたよね。

小さい頃から、いつどんな時にも私のことを気にかけてくれていた祖父だった。


大阪へ戻る日の朝。

祖父のところにしばらくの離れ離れになる挨拶に行った。

この日も祖父は癌の痛みで起きられなかったけど、息子を抱き寄せて、小さなおててにキスをしてやさしさをチャージしてくれた。

顔が浮腫んでいるよ…

この日が、私が祖父を家で見た最期になった。

後になってわかる最期がこの日だった。


こんなに幸せそうに笑ってくれていたのに、

きっとものすごく苦しくて痛くて、

どうしようもない恐怖もあったよね?

泣き言ひとつ言ってなかったけど、祖父の口から出てくる事は私を想う言葉ばかりだったけど…


死を前にして人は何て無力なんだろうって思うよ。

痛みも苦しみもない昔に戻って、そこで時を止められたら良いのにって、思うよ。


祖父の身体がこの地球上から居なくなって、ちょうど1年が経ったその日、夕方に実家の空を見上げたら大きな虹がかかった。


びっくりした。

祖父が「マナちゃん、元気に楽しくやってるかい?」ってメッセージを送って来てるんじゃないかと思った。


祖父の居なくなった家で、認知症という病気に祖父のことすら忘れさせられてしまった祖母も必死で生きた。


電子レンジも炊飯器の使い方も忘れて、冷蔵庫に入れた物も忘れて、冷凍食品もそのままかじって、10分前に話した事も忘れて。


でも、何もかも忘れちゃっても、あの時あの場所で一緒に生きていたことは真実。

忘れたらまた何度も話せる、何度も会えるよね!


祖父が抱いていた当時生後7ヶ月赤ちゃんがこの時6歳…長い月日が経った。


祖母はひ孫を見て「この坊やは誰だっけ?」って聞いては「坊やたちに何かおいしいものをあげたいんだけど、バーバの家には坊やたちの好きそうなおいしいものがないんじゃよ…」って、いつも子どもたちのことを想っていたよね。


忘れてるのに、人を想う心を忘れないってすごいよ。


祖母がグループホームに行く前の日に、祖母のいる家を庭から撮った。


空は昔と今と変わらずこんなに蒼いのに、

あの家に居たはずの祖父は世界中のどこを探してももう絶対に見つける事は出来なくて、

あの負けず嫌いのどこにでも自転車飛ばしてすっ飛んでいったせっかちで世話焼きの人情深い祖母もまた、身体を置いてどこかに旅立ってしまった。


あの日のあの蒼い空を見ていたら、悲しい、寂しい、切ない、ひどい、無力感、どういう言葉で言い表すのがしっくりくるのかわからない複雑な気持ちになった。


祖母の家から見える庭に生えた夏みかんの木は、私がまだ幼いころからずっとここに生えていて、毎年夏みかんを実らせるのに、それを獲る祖父母がいないなんて、無性に哀しい…


祖母の家には今、祖母が居ない。

でも、この写真を見ただけで、あの日の日常が本当に普通に自然に蘇ってくる。

こうやって見ていたら「おや、マナちゃん来ていたのかい?最近はどうかね?」って祖父がやってくるんじゃないかと思えて仕方がない。

祖母が自家製の梅シロップで梅ジュースを作って「ほら飲みな!」って持ってきてくれるんじゃないかって。


私のカメラロールに記録されているわたしの家族は今はもうあの時のみんなではないのだけど、不思議と2人はかつての2人のまま生きているように感じるんだよね。

「元気だったかい?」そう言いながら、2人でひょっこり現れそう(笑

そんなはずないけど、そんな気がする。



祖母が生きている貴重な日々に、コロナで会うことが出来ないことが悲しい。


また会いたいなぁ…

ずーっと一緒にいたい。



祖父が亡くなって数年経って、祖父の部屋から、私が10歳のクリスマスに祖父にプレゼントしたクリスマスカードが出てきた。

私はそのカードを祖父に作ったことを今でもハッキリと覚えている。

20年以上、捨てずにずっと大切にしていてくれたことが嬉しかった…

祖父はもうここにいないのに、祖父のやさしさを今でもこうして受け取っているのだ。



祖父母に会いたい。

会って、声をたくさん聴きたい。




祖父や父母が私にそうしてくれたように、私も愛をもって子どもを育てようと思う。