私が、キルタンをしている理由を紹介します

キルタンとはサンスクリット語でマントラ(真言)を音にのせて繰り返し唄うという行為のヨーガです。唄う瞑想、唄うヨーガ、バクティヨーガとも言われています。

キルタンでクリシュナとラーマのマハーマントラが私は好きで親しみを感じ想いを寄せて唄っています^ ^


今日はクリシュナについて私の知っているお話をしたいと思います。


クリシュナは古代インドの大叙事詩「マハーバーラタ」の中の一編バガヴッドギーターに出てくる賢者です。絶対境地に立たされた弱気になっている主人公アルジュナに対して、ヨーガの教えを説きながら鼓舞していきます。そこには人間の心の性質や本質を紐解きながら会話形式にお話が進んでいきます。


バガヴッドギーターの中でクリシュナはアルジュナに対してこう言います。
「意(こころ)は動揺し、抑制され難い。しかしそれは常習と離欲によって把捉される」


ここでいう意(こころ)はマインドや外に向いている人の意識の事をさします。外側に意識が向くことで集中力が離れ自分の本質からも遠ざかっていきます。


しかし常習と離欲によって真意が把捉されていくと説いてます。


ここでいう常習というのは繰り返し、繰り返しあなたの心に意識を繋ぎとめていく練習の事を言います。その方法は身体を動かすハタヨーガであったり、内側に集中を置いていく瞑想であったり、自己の解釈ではないヨーガの聖典を学ぶ事で人の心の仕組みや本質を理解し、知識を使って自己の揺れ動く思考の癖や心の囚われから離れていく事を説明しています。


次に離欲について

人は欲から離れる事自体非常に難しいです
なぜなら欲はキリがないからです。人はみんな多かれ少なかれ持っています。
次から次へと自身を満足させようと足りていない穴を埋めるかのように、欲は湧き水のように出てきます。終わりが見えないゲームのようです。

クリシュナは欲について
アルタ(安心、安全)
カーマ(快楽、娯楽)
ダルマ(調和、役割、義務)について説明しています。


アルタ(安心、安全)からくる欲求はベースが恐怖や未来に対する不安から生じています。

カーマ(快楽、娯楽)は今の自分に満足していないという思いが、ベースになります。今の現状がつまらない、刺激が欲しいという欲求です。


ダルマ(調和、役割、義務)ここでの意味はひとつに解釈するのが難しいのですが、クリシュナは「自己のダルマを遂行しなさい」と言います。


ダルマとは(ここからは私の今現時点での私的解釈になります)

人が本来生まれながらに持っている、特質や個性、この人生で最大限に生かしてあげる事だと思っています。

結果や評価がなくてもやらずにはいられない事であったり

どうしても興味がある事、惹かれる事であったり

ダルマは成功や失敗に関係なく、まずは行動に移しましょうと説いてます。ダルマは正解も不正解もない、自己の役割としてこの人生で生かしていきましょうという意味だと思ってます。


人によってダルマは違います。
またダルマも変化していきます。
それを見極めながらダルマを選択して生きていく事がヨーガに生きるという事なのかと思っています。


そして話が最初に戻りますが、
クリシュナの言葉をキルタンという唄う行為にかえて、人が誰もが生まれながらに持っているピュアなハートの部分、純粋な喜びを思い出していける行為として私はキルタンを唄いつづけている理由です。

yoshimi


最後はお知らせです

8月1日山梨県のまほろばというキャンプ場にて
第2回キルタンの調べを開催します

詳細はこちらをご覧ください^ ^