羽生結弦選手は言葉を大切にしていると思うし、私(たち羽民)もそうありたいと願っているんですが、時折り「ネガティブなイメージのほうが強い言葉」が、オタ活中によく使われている気がするんですよね。
昨日のブログに入ったコメント「○○おち」という言葉(落ち?堕ち?)について考えているうちにふと気づいたんですけど、もともとはどなたが使い始めたのかな?とか…
そういえば、アンチの常套手段「地蔵行為」という言葉はお地蔵様に失礼だと、知った当時めっちゃ反感を持ったなぁ〜とか。
ゆづリストってそもそも、ファンを揶揄する言葉として出てきたんだったかな?とか。
祈祷班は誰が言い出したんだったかわからないなーとか。
「嵌まる」とか「沼」とかは、オタ活じゃないときに出くわすと?良いイメージとは言えないなぁとか。
「羽民」は「米民」さんたちからの命名なので嬉しかったし、私は多用してますけど。(米津玄師さんのファンの方たちの言葉の使い方は素敵、まさにファンは推しに似るのね❣️)
そういう「良いイメージと結びついている」ものはともかく、「堕ちる」だとまんま堕天使みたいでしょ?
羽生くんに堕ちるなら本望ですけど、そういえばアンチに「羽生結弦信者」みたいに言われたことがあったなぁ〜
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護王神社さんて、ご存知ですか?
京都市、御所のすぐ近くにあります。
足腰の神さまなので、羽生くんがけがをしたときにお参りした方たちも多かったのではないでしょうか。
ここに行くと、和気清麻呂さんの話が書いてあります。
その時代から、あるいはもっと前の時代から、権力者が自分に逆らう相手、気に入らないことをした相手に「酷い名称をつける」ことはあったんですね。
そういえば、魏志倭人伝に載っている「邪馬臺国」も「卑弥呼」も良くない漢字を使ってますね。
あまり関わりがあったわけじゃない近隣国について、そういう漢字を使う精神性って…
と、余分なことまで思い出しましたわー
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もともとその言葉を使った方が、好意的だったのか悪意があったのかわからない場合には「みんなで好意的な言葉として使う」ことで、良い空気で満たそうというやり方はとても良いなと思います。
こちらを信者などというくらいなので「祈祷班」がもとはアンチが揶揄するために使ったのだとしてもおかしくないけど、それを逆手にとって日本各地の神社仏閣に参拝するファンが増えたのなら素晴らしいことですよね。
私が思うに、日本人は無宗教などと言われてそういう気分になっていることも多いけど、本当は「多宗教」なのではないでしょうか。
八百万の神様の全てを知ることはできないけど、今どこにお参りに行きたいか?くらいはあると思います。
ちなみに私は護王神社さんには、晴明神社さんに行ったときにお参りしました〜
羽生結弦選手ゆかりの神社さん、お名前に親近感がある神社さん、ご加護を祈りたいところ…さまざまですよね。
飛行神社さん(・・;)というところまであると、初めて知ったりとか。
そんなふうに、祈りを集めることができるうちの一人で良かったなと思っています。
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もし、堕ちるとか、沼とか、最初は揶揄する意図で使われた言葉だったとしても、「○○おち」がファン同士のファン歴こみの自己紹介になるくらい、明るく使われるようになったのなら、沼の住人としては嬉しいですね。
和気清麻呂さんはいっとき「穢麻呂」などという酷い名称をつけられて流罪にされたけど、のちに都に召喚され、護王神社さんに祀られています。
言葉は、言葉でしかないけど、人の心を動かしたりイメージをつけたりします。
私たちは、なるべく良い意味での言葉として、おちるも嵌まるも沼るも使って、お地蔵様から罰を受けそうな人たちとはなるべく関わらないようにしていけたらいいなと思っています。
おお、オチはお地蔵様?
(関西人なので、おち→オチにしたかった…ちょっと笑いをとるにはゆるいかも?)
読んでくださってありがとうございました。