これはフィクションです。
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彼が去ったあとの競技は低迷し、もがいていた。
どうすれば彼のいた頃のように、注目され熱中して観戦され話題になるのだろうと。
彼一人が注目され熱中して観戦され話題にされ絶賛されていて、それを妬んだモノたちが彼を迫害してその栄光と人気を横取りしようと企んでいた過去には思い至らずに。
ただ、彼がいたときのことを競技の栄光のように思い込み、あのときのようになって欲しいと願っているのだろうか。
だとすると傲慢だ。
彼が戻ることはなく、彼を支援したいと思う観戦者もそちらについて行った。
彼から奪った勝利も得点も、他の誰かに与えたところで見向きもされなかった。
このまま競技自体が衰退していくのだろうか。
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彼は憂いていた。
彼を尊敬し彼に憧れてきた選手たちは、彼がかつてされていたように冷遇されている。
そしてそれについて彼が何か語ったところで、手助けになるわけではないのだ。
むしろ、彼に向けての人質のようにされるだけになるだろう。
そう予想したから、あえて誰に対しても言及しないままここまで来た。
だが、このままでも彼のいる高みを誰か目指してくれるだろうか。
採点で報われなくても組織から冷遇されても、あるいは逆に甘やかされておだてあげられても、地道に実力を高め続けていくのは並大抵のことではない。
冷遇され萎縮するのも、甘やかされ傲慢になるのも、天秤の両端のようなものだ。
どちらも、傾きすぎて滑り落ちてゆく。
彼のように、腐らず挫けず怠らず、横道にそれずに進み続けるには平衡感覚が必要なのだ。
常に自分を省みて、より良くしていくために必要なことを考えて実行していく決断力と向上心が。
どうか…
彼は祈るように願う。
彼のいる高みへ、彼の目指すさらなる高みへ、昇ってきて欲しい。
共に、目指して欲しい。
どうか…
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三年の間に、彼は国内の各地で舞ってきた。
歌舞音曲は、人心を集め高揚させ祈りに還る。
氷上で奉納舞ができるのは彼一人だったが、三年の間に同志は集まっていた。
そうか、氷の外にはこれほどに居てくれたのだ。
彼は喜んで共に舞った。
また、彼ほどの技量はなくとも、氷上でも共に舞う同志は居てくれた。
三年のときを経て、彼はその地に奉納舞の結界を張った。
人の心、思いを願いを祈りを託されて、浄化して昇華して天へと。
最初の年に五輪連覇の夏の王者と。
次の年に歌舞音曲の達人と。
そして今年、奉納舞の名手と。
災害の悲しみに覆われていた地に、他の場所で苦しんでいる人々を支援する新たな場所としての役割を持たせて。
そのあと、彼の住む地では春を呼ぶ奉納舞も捧げた。
これでしばらくは、調整と学びの期間を設けられるだろう。
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彼の目指す高みを目指す選手より、もっと手っ取り早く自分たちを儲けさせてくれる選手に栄冠を与えたい。
そう企むモノたちは、まだ蠢いている。
彼の目指す高みに惹きつけられ、そこまで辿り着こうとする選手たちに報われる日が来るのだろうか。
四年に一度の祭典まであと半年。
思いが、祈りが、願いが、結集する。
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これはフィクションです。
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ノッテステラータ公演で野村萬斎さんと羽生結弦選手とスケーターさんたちのボレロを見たときに、私(たち観客)からの思いがエネルギーになって中央に集まり、天に上げられたように感じました。
逆にSEIMEIでは、地に広がったのだと思いました。
人の思いを天に捧げ地を守る結界に…
天・地・人
まあ、圧倒されて放心状態だったファンの妄想ですから。
読んでくださってありがとうございました。