以前、「学校の先生になりたいのは、テストを受けるほうよりも採点するほうがやりたいから」などという、ジョーク?コント?を見かけたことがあります。
どんなことでも、自分が何かの序列をつけるって、支配欲を満たしたり、プライドを満足させたり、良い気分になりますよね。
だから、ランキングとか好きな人もいるのではないでしょうか。
だけど世の中、そんな簡単にそれぞれの支配欲を満たすような状況はありませんから…
それで、以前ならマスク警察?とか、マナー警察とか、要は「自分が他者を判定する立場」に(勝手に)立って、あれこれ批評したい人たちが出現したのだと思います。
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スポーツの試合の審判、芸術のコンクールなどの審査員だと、そういう「今、結果を求めている方たちの裁定を自分がしている」優越感が満たされるのでしょうね。
それでも普通なら、その道の第一人者だったり、かつてのトップだった方たちが、自身の経歴に恥じないようにと細心の注意を払って行うはずですが。
どうも、フィギュアスケート界ではそうなっていないようですね。
バッジテストの○級取得者でなければジャッジ資格を与えないとか…そういう方向性があれば良かったのになと思います。
というのも、メダリストを読んでいて感じたんですが、バッジテストの合格者って…6級くらいで2Aは跳ばないといけないんですよね?
そして、その6級取得者じゃないと、ノービスの公式戦に出場できないんですから。
毎年、何人くらいバッジテスト合格者がいるのかわかりませんけど、その方たちの中からジャッジ資格者が出るようにしたほうがいいのではないでしょうか。
とはいえ、そのジャッジ資格取得者ばかりを特定の指導者の門下生から多数輩出して、恣意的採点をさらに進めようとされても困りますが。
人間どうしても、自分がしたことない苦労は低く見積もる傾向があるんですよね。
特に採点競技は、「難しいことを簡単そうに見せるくらいに美しく実施する」のが理想だったりしますから。
その難しさに敬意を持たずに、そこまでの苦労も知らないままで、採点するようだと…
ますます歪んでいく気がします。
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採点競技はどれだけ公平にしようとしても、どうしても、挑戦か完成度か、難易度か確実さか、そのバランスが難しいのではないでしょうか。
採点競技でオリンピック連覇するのが困難な理由の一つは、そのあたりにもあるのだと思います。
金メダル🥇を獲得した選手がそのどちらかに秀でているから強い場合だと、バランスが逆になるだけで評価は覆る可能性がありますので。
ノッテステラータ2023でのオリンピック2連覇同盟、体操個人総合の内村航平さんとフィギュアスケート男子シングルの羽生結弦選手。
このお2人がオリンピック2連覇できたのは、その、難易度と完成度の双方を高いレベルで実施したからなのだと思っています。
そして、だからこそ、そういう選手のことは…
低く評価するのは難しいし、ご本人が競技から離れるか、年齢的に衰えるのを待つか、くらいしか他選手たちに勝ち目はなかなか訪れないでしょうね。
恣意的採点でもしない限り。
あるいは、けがやなんらかのアクシデントで実力を発揮できない事態にならない限り。
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たいていの競技では、世界に「これを見て‼️」というだけでその素晴らしさを理解してもらえるほどの、高いレベルと魅力のある選手が出現して、一気に競技者とファンの人口が増える、ということを望んでいるのではないでしょうか。
フィギュアスケート界はその千載一遇のチャンスを何年もふいにしたんですよね。
もったいない…
何も余計なことをせずに、ただ、事実をそのままに採点して報道していたら、それだけで叶えられたものを。
あー、もったいない‼️
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明日は野村萬斎さんのラジオですね。
羽生くんは、SEIMEI様についてどうお話してくださるでしょう。
21世紀初め頃の陰陽師の映画、若い頃の萬斎さんの晴明様を羽生くんがいつくらいに見たのかも知りたいです〜
読んでくださってありがとうございました。
2001年公開でしたよね?
小学1年生か…
さすがに早い気ぃする。
けど、ないとはいえない。
羽生くんやし。???(^◇^;)