文化、芸術の中でも、歌舞音曲は録画・録音ができなかった頃には「その場限りのもの」だったのではないでしょうか。
建造物や、絵画、彫刻、工芸品などは保存できますよね。
古くは壁画などもあったようですし。
だけど、歌舞音曲はその場で鑑賞した方たちの記憶に残るだけだった、その期間が(たぶんかなり)長かったのだと思います。
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残すために、継続するために、同じくらいの技量のある者を育成して後継者にしていく。
あるいはその血筋に生まれついた者を後継者として仕込んでいく。
そういうことがずっと、何百年も続いてきた伝統文化もあるのでしょうね。
録音、録画、再生、中継、そういう技術ができて初めて、そのときその場にいなかった方たちにも鑑賞してもらえるものになった…
それはどういう化学反応を起こしたのかな?と思いました。
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昔から、自分が知ることのできる範囲のものなら、もっとよく知って、学んで、吸収して、取り入れてきた方たちも多くいらっしゃったのでしょうね。
そうやって、近い地域の文化は似てくるような傾向があったのかもしれません。
近年になって、長距離の移動が可能になってから、より遠い地域のものへの見聞も広がって…
さらには録画映像を見て、新たに知ることも増えてきたのではないでしょうか。
そういうふうに、世界的にあちらこちらで化学反応を起こしながら、変化してきたものもあるのだと思います。
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フィギュアスケートは発祥の頃には氷上に図形を描いていたそうですね。
音楽を使って踊りを取り入れたのが、大きな変化だったのでしょう。
そこからずっと、取り入れる踊りの種類も増えたり、スケート独特の動きに変化したりというふうになってきたのだと思います。
ダンスを取り入れること、それも複数種類のダンスを取り入れた動きでスケートすることは、別にタブーでも避けてきたことでもなくて…
それをできるスケーターさんが限られていただけなのではないでしょうか。
と、某ダンス界の方のYouTubeを見て、感じました。(⌒-⌒; )
もちろん、フィギュアスケートをするにあたって、バレエの練習をする選手たちはわりといたでしょうし、さまざまな種類のダンスもできることならやりたかったと思っていたのかもしれませんけど。
アマチュアの選手たちにとっては、シーズンが始まる頃にはSPとフリーのプログラムはもう決まっているでしょうから、その演目に関係ない動きを学ぶ時間はそれほどなかったというあたりなのではないかと。
白鳥の湖をやるならバレエをとか、
ラテン音楽をやるならフラメンコをとか、
ワルツをやるならソシアルダンスをとか、
決まったプログラムに応じた動きのものならそのシーズンに懸命に磨いていくでしょうけど。
他の分野のものまで幅広く学ぶことは難しかったのでしょうね。
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羽生結弦選手がプロ転向してから、飛躍的に、それまで以上に、加速して表現力が向上しているように見えるんですけど。
それは、これまでフィギュアスケート界の中でしか、そのプログラムに関係した動きしか、学ぶ機会があまりなかったからなのかもしれないと思いました。
MIKIKOさんという素晴らしいダンス界の師匠と出会って、高速でそのスキルを学んでいるのでしょうね。
そして今度は野村萬斎さんから、日本の伝統芸能という、たぶんフィギュアスケート界からはかなり遠い位置にあったものを吸収してきたのだと思います。
一朝一夕に学べることではないのは確かだけど、学ぶ意志と覚悟、そしてその学びをスケートに取り込む能力があったから、羽生くんの動き…というか、表現の幅がますます広がってきたように感じています。
音楽家さんとの出会いも、内村航平さんや大地真央さんとのコラボも、たくさんの「フィギュアスケート界とは違う世界の一流の方たち」からの学びで、どんどん加速して、さらにそのスケートを磨いていくのでしょうね。
きっと君の眩しさに誰もが気づく…
それは、そのスケートの価値が高まっているから。
読んでくださってありがとうございました。
そのシーズンに○○の動きを学んで来ました〜と言ったら、表現力〜連呼してもらえて、PCSが上がっていく…
それだけでOKと思うならそこで成長は止まってしまう…
もっと貪欲に、学んで、活かしていけば、本当の実力として身についていく…
その選択の結果はいずれ…