えー、ご存知の読者様もいらっしゃるでしょうけど、改めまして。
私は「仮名・満丸本七」といいます。
大津市民、既婚女性、息子2人の母、実家は市内です。
まあ、詳しいことを書くのは息子に「個人情報を出すな」と言われてますのでやめておきますが、息子たちが小学生の頃に義母が要介護状態になり、亡くなる数日前まで(入院期間を除いて)自宅介護してました。
それで、息子たちの幼少期は「自分のことは後回しにして育児」してたんですね。
そのあとは「自分のことは後回しにして介護」してたわけで…
気がついたら、「私って何を好きなんだった?」状態になってました。
もちろん、好きなもの好きなことはいっぱいあって、そのうちの一番好きなものはすぐにわかるんですけどね。
それ以外に何が好きか?がわからなくなったんです〜
10分の休憩ができるなら、羽生結弦選手のスケートのプログラムを1つ見たいと思っていても。
その休憩が1時間になると、その最初の10分よりあとに何をしようか?迷うわけです。
そして結局、自分が今、先にやっておける用事を済ませておこうなどという発想になり、いつのまにか休憩ではなくなってしまう…とか。
あるいは食べものなら、何種類かのスイーツをもらったときに家族に先に選んでもらうので、自分の欲しいものは後回しになる…これはみなさま経験あるのでは?
それで、自分が欲しいものを選んでいいと言われる立場になっても、一番好きなものはすぐに思い当たるけど、もう一つどうぞと言われたら迷うわけです。
自分の「一番ではないけど優先してもらえるなら欲しいもの」が、思いつかない…
そんな時期があったなぁなんて思い出してました。
…………
そして今になって考えると、私って、得意なこと褒められること責任を負っていることをしてきたけど、何をどのくらい好きかわかってなかったのかも?
たとえば運動なんか小学校入学してからずっと苦手で大嫌いだったはずなのに、ここ数年ほぼ毎日ストレッチも筋トレもして週に1〜2日は1万歩以上歩いていて、プランクも1分以上×2をやっているわけです。
あれ?私って筋トレ好きだったの?というくらい。
そりゃまあもちろん、介護してきた身としては、自分が介護される立場にならないようとか、介護されるにしてもなるべく負担をかけないようにとか考えて、関節の可動域や筋力を確保しておきたいとは思ってますけどね。
GOETHEに載っていた羽生くんの片足しかついてないサイドプランクを無謀にも真似して、3秒くらいならできるようになったのがめっちゃ嬉しかったんですよね。
私ってこんなに、自分の体を鍛えて何かこれまでできなかったことができるようになるのが好きだったんだ…と、わかったわけです。
同じようにちょっとずつ、自分が何を欲しいか望んでいるか、一番のもの以外にも見えてきたような気がします。
…………
ノッテステラータ公演から2週間経ちました。
今日はYouTubeでエブリィの羽生くんを見ました。
梟🦉の描かれた塗りのお箸でご飯を食べていますけど、見るたびに…とまではいかないにしても、あの日行けたこと会えた方たち見てきたもの感じたことを思い出したりします。
また、感謝のゆずぽんずもゆずドレッシングも美味しくて嬉しいです〜
被災地支援のための買い物というよりも、もっと、「私が好きだと思うもの、使って、食べて喜ぶもの」を購入して良かったなと思っています。
こんなに、丁寧に作られたものを手にする、口にすることは、とてもあたたかい気持ちになりますね。
私の「好きなもの」を増やしてくださって、ありがとうございます。
…………
好きは感謝につながっていくのでしょうね。
…………
米津玄師さんのMVで「風に流れない矢」という歌詞がありましたよね。
羽生くんのスケートは、その矢のようだと感じました。
流そうとした風は他者からの評価で、真っ直ぐに飛んでいこうとする意志が弱いとその影響を受けやすくなるのだと思います。
採点という評価が得点も順位も決めてしまう中でも、羽生くんの「GOE+最大値をもらえるクオリティのエレメンツ」はさらに磨かれていった、それは羽生くんご自身の「もっと良いスケートをしたい」という意志が強かったからなのではないでしょうか。
「風に流れない矢」は「好き」という思いの強さで真っ直ぐに飛んでいって、その眩しさに誰もが気づくようになってきてるのでしょうね。
好きこそ最大の上達ポイント。
好きこそ見たいと願う最高の思い。
好きなものに関わって広がっていく支援の輪は宝物。
「好き」に乾杯🥂❣️
読んでくださってありがとうございました。
「乾杯」って書いてしもたけど…
私、アルコール飲めへんのやけど…
言葉の流れでつい…(^◇^;)