憶測と妄想です。


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私は物語、いわばフィクションが大好きで、子どもの頃からその世界にのめり込んで来ました。


そしてそういう、現実ではない空間を夢想するのが好きなのは、私だけではないと思います。


先日、某バカタレ週刊誌に関して、その出版社から著作物を刊行している(と思われる)方の「文芸に携わることを望んで就職したのに週刊誌に配属された」人たちもいる、という発信を読みました。


まあ、そうだろうなと感じました。


文芸界の大きな賞も主催している大手の出版社に入る動機は、週刊誌の記事を書くことよりも、文芸書の発行に携わりたいというほうが多いのではないでしょうか。


もちろん、その週刊誌の記者になりたいと望んで就職した方たちも、いて当然ではあるんですけど…


何故、採用するときに配属先希望を確認しなかったんでしょうね?


どちらの苦労も体験させたい?


だけどそれは、私には全く違う分野の仕事のように思います。


フィクションの世界を創り上げるのと、

現実世界で取材して記事を出すのとでは、

逆方向…とまでは言わないかもしれないけど、別の方向性なのではありませんか?


フィクションは何でもありです。


それこそ、仮想空間でも構わないし、未来でも過去でも宇宙でも地底でも、作者の描き出す世界に読者が引き込まれる「場」が創設されていればいいのではないでしょうか。


だけど週刊誌は、現実の、実在の、人物や団体について書く以上、しっかりとした取材や事実確認が必要ですし、誰かを不当に傷つけたり貶めたりしない最大限の配慮をしないといけないはずです。


だけど、特にこの数年は、(コロナ禍でロビーなどに紙媒体を置かなくなったところも多いし)出版不況の影響もあって、過激な見出しでアクセス数稼ぎするWebサイト記事などが多発しているように見えます。


その中には情報源がアヤシかったり、SNSでの噂を拾ってきただけのいわゆるコタツ記事だったり、片方の言い分だけで決めつけた糾弾だったりして、現実に不条理な迷惑がかかる場合も多々あったりしますよね。


中には権力側に抑圧されていてなかなか表沙汰にならなかった理不尽な状況を告発するものもあるのでしょうけど、それはかえって、

「嘘」や「単なる噂話」や「憶測に過ぎない記事」を書いている媒体から出てきた場合、

「どこまで本当なのか?」と思われてしまうという弊害もあるのではないでしょうか。


もしも最初から文芸の世界に行きたかったのに週刊誌の記者になった場合、

「自分が創り出した物語」に実在の人物を当てはめるような記事を書くことが増えるのではないか、

そしてそれが「半分フィクションなのにノンフィクションの体で出版・発信」されてきたのではないか…


などと、感じたんですよね。


まあ、私の単なる憶測と妄想です〜


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羽生結弦選手のアイスストーリーは、そういうことを踏まえた上で考えてみると、実に見事なものだと感じるんですよね。


え?いきなり羽生結弦絶賛委員会活動になってる?


あ、いつものことです〜


プロローグは本当に序章に過ぎなかったので、ちょっと置いといて。


GIFTを見たときに、「これは羽生結弦選手ご自身のことだ」と思いませんでしたか?


羽生くんの経歴を知っていれば、

「これはあのときのこと…」

「これは、あのときにそんなふうに思っていたのでは…」

が、随所に見受けられました。


阿修羅ちゃんの少し前、絵本ならちいさいさんとおおきいさんの後ろ姿が左右にあるページ。


ここは、やってきたこと、努力を認めてもらえない苦しさが伝わってきました。


現実に、そういうことって…ありましたよね?


フィクションです、物語です、そう言われても、羽生くんご自身の声でそう話して、スケートで見せてくれる世界観に浸っていると、それは「羽生結弦物語」として受け取ってしまうんです。


そうすると、現実世界の、

羽生結弦選手の努力を認めなかった世界→組織

に対して、どういう感情を抱くか?


それは、ネガティブなものになってしまっても仕方ないですよね…


だけど、RE_PRAYで羽生くんは、「ゲームをする主人公」を演じて、ゲーム世界と現実世界のはざまのような空間を描き出して、その中で「敵を倒すルート」と「誰とも戦わない選択」を提示してみせたので。


より、望ましい未来のために、どういう選択がいいのかそれぞれで考えていくように…やみくもにどこぞの組織への反感を撒き散らすより世界を明るく照らす輝きをもたらしてくださる方を応援していくために、役に立つことをしていきたいと(私なら)考えるきっかけになったと思います。


そしてエコーズではもう、完全なフィクションの世界になったので。


孤児が、VGHが、大量破壊兵器が、Novaが、語る言葉は「羽生結弦の言葉」ではないんですよね。


Novaくんにどれだけ思いを乗せても、その発する言葉で羽生くんの心境を推し量ろうとしても、あくまでフィクションの世界のこと。


不条理への、運命への、理不尽な扱いへの、苦しみも孤独も自己肯定感の低さにも、「実在する誰か」への憎しみや怨みに転化させなくて済む…


どこまでも、フィクションの中のNovaくんのいる世界観に浸って、楽しむことが許されるんです。


なんて柔らかな着地点を見つけて提示してくださったんでしょうね。


誰も傷つけなくて済む。


それでいて言いたいことが言える。


そんなことが可能になるのが、フィクションの世界なんです。


それをストーリーと、出演と、スケートで描き出す…


唯一無二の、創作者で演じ手でスケーターですね。


読んでくださってありがとうございました。