独り言です。
私は羽生結弦選手のスケートを「氷上の奉納舞」やて受け取ることがよくあるんやけど、それはどのプログラムでもていうわけとはちょっとちゃうねん。
特別なときとか、特定のプログラムで感じたりするんや。
白鳥さんとか春ちゃんとかDannyなんかは、奉納舞や…てそのまま感じるし。
SEIMEI様やと、お祓いていう気ぃするし。
とりへびやったら、ちょっと違うような…不動明王の炎🔥?ともちごて、阿修羅?う〜ん…まだ掴みきれへんなぁ…
Utaiはもう、そのまま神下ろしやね。
浄化、再生、祈り、滅魔、そういうものが天地に届いたと感じられるスケートって、羽生くんだけやねん。
癒しとか祈りとか、見てる人に届くまでなら他のスケーターさんからも感じたことあるんやけど。
天地に届くていうのは、それよりも遥かに強いものなんとちゃうやろか。
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あかん、いくら独り言でも、かなり支離滅裂になってきたで。
何や、新興宗教の勧誘みたいやがな。
あ、我が家は浄土宗です〜
氏神様は神さん棚にお札をお祀りしてます〜
何の言い訳?釈明?してるねん😅
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羽生くんのスケートを奉納舞て感じる理由の一つは、「天地に恥じない」最高のものを目指しているからなんやろね。
妥協とか誤魔化しは、人間相手には通じても、奉納するときに見てはるのは神様やし。
そんなん、「自分は拙い技術のままでもこれで高得点もらえるし」とか「苦手なものはジャッジから見えにくいところでやっとけばいいし」ていうような意識では、神様には通用しいひんやん。😓
常に最高のものになるように、不断の努力が必要なんとちゃう?
それから、誰のためのスケートか?ていう意識の差もあるんやろね。
自分のために、自分が高い得点、順位、名声を得るためにやるのは、野心家のアスリートなら当然のことやし悪いことではないねんけど。
自分以外の誰かのために何かしたいという想いがなかったら、伝わってこうへんものもあるんとちゃうやろか。
羽生くんの春ちゃんからは、見た方たちにも春が来ますようにという祈りが込められているし。
そういう、自分以外の誰かのための祈りを感じるから、奉納舞やて思った気ぃするんや。
ノッテステラータのときとか、能登半島チャリティー演技会のときの春ちゃんは、鎮魂と、今生きている方たちへの寄り添いと、その地の浄化も含まれていたのかも。
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生きる希望が途絶えそうなときには、
ちょっと「美味しいもの食べて嬉しい」とか、
あたたかさにホッとしたりとか、
誰かの優しさに触れて癒されたりとか、
美しいものを鑑賞して「また見たい」と思うとかが、
もうちょっと頑張ろうかな、ていう気力につながるときもあるて思うねん。
もっと直接的に役に立つものも必要やけど、そういう物資とかとは別に
「それぞれの心の中に」
生きたいと思える力がみなぎる、満たされる、そんな瞬間を
羽生くんのスケートから感じることがあるのなら。
その奉納舞は、天に届いて、地を満たして、人を力づけるものになったんやろね。
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羽生結弦選手が健康で、思い描くスケートができますように。
氷上の奉納舞を見て、生きていて良かったと思えたことに感謝をこめて。
独り言におつきあいいただき、ありがとうございました。