ことわざとか格言の載っている1週間めくりのカレンダーから。
「一生懸命やって勝つことの次にいいことは、一生懸命やって負けること」
カナダの小説家ルーシー・M・モンゴメリさん
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オリンピックが見た方たちの心を震わせるのは、この両方ともを見ることができるからなのかもしれませんね。
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フィギュアスケートではそれは難しいことだったのでしょうか?
それとも、ずっとあったものなのでしょうか?
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6.0満点の時代だと、ベストを尽くしてもそれがどう評価されるか?は選手たちにはわからなかったかもしれませんね。
でも、逆を言えば、(勝てないとわかっていても)一生懸命やって負ける、というのはできていたのかもしれない?
新採点制度になってからは、基礎点の合計である程度自分がどのくらいの順位を目指せるのか、見当がついたということもあったのでは?
どうしても敵わないと思う選手たちに対して、一生懸命にやって負ける、それはむしろ上位を狙えない状況のほうがやりやすかったりとかもしたのでしょうか?
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フィギュアスケートのファンの方たち以外がその競技を見るのは、オリンピックのときというのが最も多いのだと思うんです。
そうなると、オリンピックで一生懸命にやって勝った、そして、一生懸命にやって負けた、その両方ともを見てファンになることもあるのかもしれませんね。
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私はアスリートが(負けて)たらればを言うときは、その「一生懸命に」ができてなかったからではないのかな?と思っています。
一生懸命にやって負けたのなら、たらればの入る余地なんてないでしょう?
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羽生結弦選手がさまざまな方たちの心を動かし、記憶に残り、ファンを増やしたのも…
一生懸命にやって勝った、ソチオリンピックと、平昌オリンピックと、
一生懸命にやって負けた、北京オリンピックとを
見ていた方たちが多かったからなのではないでしょうか。
そこにたらればの入る余地なんてなかった。
北京オリンピックは、4Aに挑戦するという、アマチュア時代の最後の目標を掴みに行ったのでしょうから、
4Aを回避して、安全策でメダルを獲得しても、それは一生懸命にやって勝った、あるいは負けた、という試合にはならなかったような気がします。
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もしもスケートの神さまが、羽生くんを北京オリンピックまでアマチュアの試合に引き止めていたのなら。
挑戦することのカッコ良さと
一生懸命にやって負けた試合の記憶と
その潔さ、清々しさ、
報われなかった努力の結果としての順位に
心惹かれて夢中になって、
それまでよりもさらに応援したいという意欲をかきたてられて、
ファンになる方たちが増えるという結果まで、
見越しての采配だったのでしょうか…
プロの世界に行くときのためのはなむけとして。
読んでくださってありがとうございました。