よく、

あなたの好きなことを仕事にしよう、とか

あなたにしかできないことをしよう、とか

いう言葉を見かけるんですけど。


おいおい🙄…


と、思うんですよね。


そりゃ世の中には、そういうお仕事もあると思いますよ?


文化、芸術などの創作者になった場合とかが当てはまるのでしょうね。


でも、それで生計を立てられる方はごく僅かで、たいていの場合はどこかに就職して、その組織の中での役割を果たして収入を得るわけでしょう?


そして、もしもその企業の中で「あなたにしかできない仕事」をしていたら、どうなると思いますか?


休めない、辞められない、代わりに誰も何もしてくれない状況がずっと続くのでは?


そういう「他の誰にもできない仕事」というのは、個人事業主、フリーランスならともかく、組織の中で割り振られたら、やるほうもさせるほうも綱渡りになるので…


なるべくそうならないように仕事を割り振るのが上司の役目、という運営になるのではないでしょうか。


もしも就職してから違う職業につきたいと思うようになったとか、そこに合わないと感じたのであれば、無理して続ける必要はないかもしれませんが。


「自分の能力を活かす仕事をさせてくれない」とか

「自分にしかできない仕事をしたい」とか

まして、

「自分は誰にでもできる仕事はやりたくない」などと思うようなら、

「自分で仕事を創り出す」→事業を興すか、フリーランスになるかじゃないと、それは叶わないだろうなと思います。


…………


誰にでもできる仕事というのは、実際には、「難しいわけじゃないけど延々とやらないといけないこと」がほとんどなのではないでしょうか。


片づけとか掃除などがその典型ですね。


そして、そういう面倒で、そのわりには評価されなくて、やって当たり前と思われたら余計に嫌気がさす仕事は「自分のやりたいこと」とは違うと思いたくなるんですよね。


そしてそれをやってくれる誰かを見下して、「あんな誰にでもできる仕事しかやれない」と、相手を侮ったりすることも。


実際には、その「誰かがやらないといけない面倒なこと」は誰もしないと困ることになります。


だからそういう「面倒なこと」をする方は、「必要な人物」にはなれなくても、「いてくれると助かる」と思ってもらえるようにはなれると思います。


少なくとも、「自分はそんなことをするためにここにいるわけじゃない」などという人よりは、重宝されるでしょうね。


さらに、周囲への配慮があって親切な態度ならば、「いてくれたら嬉しい」と思ってもらえる存在にはなるのではないでしょうか。


…………


羽生結弦選手のアイスリンク仙台さんへの寄付が、総額で1億円を超えたそうですね。


アイリンさんからの報告で知りました。


その金額も凄いけど、まだオリンピック金メダリストになる前の高校生の頃から、10年以上かけての総額だというのが、地道な支援の賜物なのだと思います。


もしも大富豪であるなら、一度にぽんと寄付できるかもしれないけれど。


持続可能な、来年も、おそらくそれ以降も、(同じくらいの金額ではなくても)支援してもらえるというのは…


かなり心強いことなのではないでしょうか。


それは先月のチャリティー演技会でも感じましたけど、このようなやり方なら、また次にその機会があればできるかもしれないんですよね。


そういう、「これからへの希望」を感じられるやり方というのは、ご自身の経験からきた配慮が含まれているのではないでしょうか。


…………


地道に、誰にでもできることをする。


それをとことんつきつめて、周囲への配慮と、自分だけではできない部分をしてくださっている誰かへの感謝と、支え合うことの意味と価値を知っている…


それを基礎、土台というのではないかな?と、私は思っています。


そして、基礎が盤石だから、その上に

「誰でもできることじゃない」ものを積み重ねられるのだし、

さらにその上に

「他の誰にもできない、唯一のもの」が積み上げられるのではないでしょうか。


羽生結弦選手のスケートが、

盤石の基礎、正確な技術の上に

煌びやかな芸術として燦然と輝いているように。


そして、見る方たちを至福へと誘うプログラムにできるのでしょうね。


読んでくださってありがとうございました。