それぞれにふさわしいものを、という話です。
羽生結弦選手のスケートは、試合のとき、EXのとき、アイスショーのとき、そして先日のチャリティー演技会のとき、という感じで、その場にふさわしいプログラムと見せ方をしていた気がします。
アマチュアの選手だった頃は、とにかく実績を残さなくてはいけなかったんですよね。
特にオリンピック連覇するまでは、死に物狂いで勝ちに行っていた感じがします。
勝つためのプログラム、構成、戦略。
それはゾクゾクするくらいカッコ良かったし、今でもときどき見たくなります〜🥰
あと、プログラムによって全く違う印象になるのが、何とも…![]()
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それはEXやアイスショーではより顕著になっていて、「同一人物???」ということが多々ありました。
チャリティー演技会では、会場の照明などによる演出はなかったけど、そういうやり方こそチャリティーにふさわしいのでしょうね。
それに、音楽と羽生くんのスケートだけで、充分振り幅は楽しめましたから〜
和太鼓の力強さで始まり、春ちゃんの癒しと浄化を経て、ケセラセラで前を向いていこう的な終わり方ができる…
他の出演者さんたちも含めて、コンセプトに沿った演技会で良かったですよね。
…………
私は、ものごとは結局「収まるべきところに収まる」のではないかな?と思うんですよね。
羽生結弦選手に関してだと、特にそう感じるんです。
ソチオリンピックで、SPで100点の壁を越えて金メダル🥇に近づいたように。
平昌オリンピックで死力を尽くして死闘を制したように。
その途中でSEIMEIで点数の壁を粉砕したのも、その勢いを削ごうと恣意的採点や妨害や印象操作があったのも、それを乗り越えてさらに強い羽生くんになったのも、全部…
「だから今の状況になった」ということに、繋がっているのだろうなと。
因果応報というか…
まあ、そのあたりは羽生結弦選手には精神的支柱として大阿闍梨様がついていてくださるのですから、私があれこれ言うのもなんですけどね。
あ、この話もちょっとだけ。
大阿闍梨様がラジオか何かで、羽生くんとはずっと交流があったことを話してくださったとか…
私はこれは、「人の心が弱っているときに付け込もうとする輩」→宗教団体(に、見せかけた連中)、占い師(の、ふりをしたイカサマ師)などに牽制したのではないかな?と思っています。
芸能界では、実力や努力がそのまま評価につながるとは限りませんよね。
そういうときに、「あなたはこんなに才能があるのに」「君の努力が報われるためには」という手口で、さまざまなところが「もっとふさわしい成果を得られる場」に行けるようにと誘惑するのでしょうね。
だけどそれは、結局のところまやかしに過ぎない。
もちろん、宗教団体などその影響力がある組織が取り込んだ人には、それなりの活躍の場はもらえるのかもしれないけど…
そういうやり方で得たものは、砂上の楼閣でしょう。
そして一度でもそうやって、「楽していい思いをした」ら、次からもそうしたくなるはず。
結果として、努力を続けた方相手には実力で敵わなくなっていくのでは?
そして…そうやってつけ込む輩にとっては、
大阿闍梨様のように、
羽生結弦選手のように、
自分からより困難なことに立ち向かう方には、
誘惑のしようがないでしょう。
そのあたりを大阿闍梨様も羽生くんも、見通して見透かしているように感じました。
ねえ、誰も「それをやれ」なんて言ってないのに、ご自身で望んで、
千日回峰行に向かったり、
単独アイスショーでクワドと3Aの入ったプログラムを6分練習後に行ったり、
より困難なことに挑戦するんですもの。
そんな方たちが…
「楽して儲けられるのはこっちだよ」の誘惑には乗らないよね?
(^◇^;)(^◇^;)(^◇^;)
と、思いました。
それぞれにふさわしい場所には、ご自身の選択で辿り着くのでしょうね。
取り止めのないブログにおつきあいいただき、ありがとうございました。