フリルを着た阿修羅、
討ち入りロミオ、
そういうものが私がファンになってから知った「羽生結弦選手の異名」でした。
それからもさまざまな代名詞?が出てきましたけど、それだけで定着するということは、あまりなかったように思います。
何しろ振り幅が広いもので、プログラムのコンセプトでイメージが違うんですもの〜🥰
流血のファントムで、
伝説の陰陽師で、
氷上の貴公子で、
氷上のロックスターで、
王子様で、妖精で、白鳥で、魔王で、覇王で、戦国武将で、
何者???状態。
(⌒-⌒; )
でも、それこそが羽生結弦選手の本領なのでしょうね。
リンクの上で何にでもなれる。
…………
人は自分以外の誰かを理解するために、
或いはグループとして認識するために、
もしくは崇める、または貶めるために、
レッテルをはることがあるのではないでしょうか。
そして、特に広告業界のでんつーなどは、取り込むことができなかった厄介な相手に「悪いイメージを想起させる言葉」をなすりつけて、ネガティヴキャンペーンしてきたように見えます。
そのうちの一つが、あるいはいくつもの言葉が羽生くんの心に刺さっていたのだとしたら、私はその全てを否定してもいいし、それを乗り越えてさらに美しさと強さを増した姿を見せてもいいと思うんです。
いつだって物語の主人公は笑われるほう♪なのだから、傷つけられたことは、傷つけられたほうの責任ではないのだから。
…………
そして、これも。
人間たいていは、自分を直視できないものではないでしょうか。
物理的にも難しいけど、まず、自分の嫌な部分、弱いところ、苦手から逃げた過去、そんなものをずっと見つめてられますか?
また、自分の限界はここまでだと知るのは怖くありませんか?
物事に本気で挑戦する方を見下す発言をするのは、だいたい、本気で挑んで自分の限界を知るのが怖い人なのだと思います。
だから「もうちょっとだったのに」…もっと本気でやっとけば良かった…を繰り返してしまうのでしょうね。
本当に、本気で、全力で挑んでも叶わなかった、自分はここまでの力しかなかったと、知りたくないから。
だけど羽生結弦選手はいつでも、全力で、全身全霊で挑んでいます。
「自分の限界を知りたくない」人間からしたら、怖い存在でしょうね。
「自分の限界に挑み、挑み続け、超えていき、さらに向こうまで挑んでいく」…そんな、羽生くんを恐れているから、揶揄するのでしょう。
「自分を知る」…その、強さも弱さも、限界も可能性も、長所も欠点も、知ってさらに向上していく勁さを持つ羽生くんですから。
私なら「自分を見つめられる強さ」を持つ方を揶揄するなんて、それこそ、己を知らないからできることだよねと思います。
…………
だけど羽生くんは、これまでも一つのグループやパターンには当てはまらなかったように、これからも何か一つのレッテルをはろうとしてもできないでしょうね。
プロスケーターという枠にはめてしまえたら、これまでのプロスケーターのイメージに縛りつけられたかもしれないけど。
さっさと「職業・羽生結弦」になってしまいましたから。
スケーターで、コレオグラファーで、プロデューサーで、クリエイターで、アスリートで、アーティストで、エンターティナーで、
絵本作家で、モデルで、メンシプらじおの話し手で、仙台の観光大使で、ブランドのアンバサダーで、被災地支援する方です。
そしてそのどれか一つには縛られない、さらに活躍する範囲を広げる可能性がある…
理解不可能なくらいの方ですね。
しかも、それでいてときどき可愛い🥰し。
職業・羽生結弦って、最高〜❣️
読んでくださってありがとうございました。