敵を知り己を知れば百戦危うからず。


という言葉は、孫子の兵法だったでしょうか?


でも、「己を知る」というのは、簡単なようでいて最も難しかったりしませんか?


自分は何者なのか、何ができるのか、何がしたいのか、完全に把握していると言い切れる方がどのくらいいるんでしょうね?


…………


これをフィギュアスケートに当てはめると…


すみません、私は羽生結弦選手のファンなもので、それ以外のスケーターさんたちについては漠然とした印象しかありません。


だから、そのスケーターさんのファンの方たちからすると「全く違う」と思われるかもしれませんが、あくまで私の持つイメージだということですから。


では、日本人スケーターでオリンピックメダリストが、どういう感じに見えるか?を。


○伊藤みどりさん


スケートが好き、ジャンプが跳びたい、それ以外のエレメンツも頑張りたい、試合が好き…

それを今でも貫いているのなら嬉しいです。


○荒川静香さん


プロスケーターになりたい、だからアイスショーに出演できる実績が欲しい。

逆算して考えられる冷静さ、自分の成績を上げるために指導者やプログラムを変更する判断力の持ち主。

それで得たものを活かし続けるための努力を重ねているのでしょうね。


○高橋大輔さん


苦手なものを克服するより得意なものをアピールするタイプ。

観客を味方にすると有利と思いこんでいたのか、自分のファンを煽ることもあってそれが仇になったかも。

自分が何をやりたいか?というより、何であれ褒められてそれが好成績や収入につながるのなら、それをやっていきたい?

プロになったら、もうちょっと責任感が必要なのではないか?と思います。


○浅田真央さん


得意なものを磨く、苦手なものを克服する、その両立に苦労していたのでしょうね。

もっと高得点を取るための戦略に長けていたら、望む色のメダルに届いたかもしれません。

ただ、ご本人よりもファンがその「得られたはずの栄光」に執着していて、それに振り回されていたかも。

プロになってからのほうが、やりたいことをちゃんとできるようになった感じがします。

リンクを借りることで費用を抑えて、低価格のアットホームなアイスショーを開催するとか…

業界に新風を吹き込んだのでは?


○羽生結弦選手


長くなるので後ほど…


○宇野昌磨さん


何か褒められることがしたい。

という感じが、尊敬している?らしい高橋大輔さんの系譜を受け継いでいるものと思われます。

だからやたらと、羽生くんが「○○だったときに喝采された」ことは真似していたのかも?

例: 「けがを乗り越えての勝利」(羽生結弦選手オリンピック連覇達成)→試合前に「けがしてますアピール」とか。

競技を引退したのも、これ以上褒められることはなさそうだからだったりして?


○鍵山優真選手


周囲に流されることが多い。

羽生くんといると羽生くんからの良い影響を受けていたのに、別の選手といるとそちらの影響に流されてしまう。

できるだけ、良い影響力を持つ相手と過ごすことをおすすめします…


○坂本花織選手


とにかく明るくて元気。

スピードとパワーが女子離れしてるのが、一種個性的。

ただ、これ以上のジャンプ構成にできないなら、成績としてはこの先難しいかも。

いつ、どんなタイミングで、どういうセカンドキャリアに向けていくのか…


…………


羽生結弦選手は己の戦力もライバル選手たちの戦力も把握していたと思います。


強み、弱み、さまざまな可能性、それを分析する能力にも長けているし、その中でベストを尽くしてきたんですよね。


シニアに上がってからソチオリンピックまでは、爆速でレベルアップしてきました。


ソチで金メダル🥇を取るために、当時の世界王者Pチャン選手を上回るジャンプ構成にしたのだと思います。


もちろん他にも有力な選手たちはいましたけど、常識的に考えて、世界選手権3連覇中のPチャンさんのスコアを上回るのが、金メダル🥇への有効な戦略ですから。


そのためにクワドを2種類にした→3Aを2本と3Lzを2本入れられる→後半にコンビネーションジャンプを入れる→ジャンプの基礎点で上回る


もちろん、エレメンツのクオリティも、スケーティングも、全部高めていったわけですから。


それが奏功して金メダル🥇。


平昌オリンピックまでには、クワドの種類と本数を増やしました。


これはたぶん、ジュニアの有力選手たちの成長ぶりも見込んでいたのでしょうね。


ソチ後、平昌までには、4Loは入れるつもりだったと思います。


それが2016年になったのは、最初からの戦略だったのか?はわかりませんが。


とにかく全力で、平昌オリンピックでの連覇、2個目の金メダル🥇🥇を取りに行ったのではないでしょうか。


ただ、羽生結弦選手が「敵を知り己を知れば…」を実践できたのは、それまでだったのだと思います。


恣意的採点が横行するようになったら、己の戦力が30%引きの点数、敵の戦力が50%増しの点数になったりしますから、戦略なんて役に立ちません。


というか、もはや、「敵は試合の主催側」状態だと、どうにもできないでしょうね。


四大陸選手権の優勝でスーパースラムを達成して、もう、4A成功すればさっさと引退しようと思っていたのでは?


(平昌オリンピック後1〜2年で4Aを跳んでいる予定だったと予想)


4Aへの挑戦がなかなかできないままコロナ禍で試合に出場すること自体が減り、競技を続けることへの葛藤と、練習拠点に戻れないままの環境と、さまざまな要因が重なって、運命の北京オリンピックに。


羽生くんがどの時点でアマチュアからの卒業を決意したのかわかりませんが、北京オリンピックで4Aに挑戦した、それを世界が目撃したのは良かったと思います。


…………


プロ転向してからの羽生結弦選手は、「己を知る」部分はスケートに特化していたのだと、改めて感じたのかもしれませんね。


ダンスを取り入れる、体の部位を独自に動かす、どう見えるか?を熟知する、そういうことをスケートに落とし込んでいくと、それまでよりもさらに広がる表現の世界に気づいたのかも。


アマチュアのときはどうしても、得点のために縛られていたところがあったけど。


そこから離れて自由になったら、できることは無限♾️に広がっていくくらいに、河口から大海原に漕ぎ出した船のような気分になったのでは?


まだもっとできることがある。

やりたいことがある。

それを叶えるために尽力してくれる方たちもいる。


そういう状況に見えます。


そしてまだ、「己を知る」…「己にどれだけのことができるか、その限界に挑戦する」ことは続いていきそうな気がします。


私には、羽生くんの全貌はまだ見えてません。


それくらい、大きく広く深い。


羽生くんご自身がそれを見極める日がくるかどうかの予測さえできません。


それくらい、大きく広く深く…底なしの才能ですね。


読んでくださってありがとうございました。