私は、物事はなるべくバランス良くなって欲しいし、自分の考えも偏らないように気をつけていきたいと思っています。
というのも、極端からもう片方の極端に行ってしまうことがあるから、気をつけないといけないと自戒しているんです。
私は摂食障害にはなったわけじゃないけど、ダイエットしてもなかなか痩せられなかったときに、途中で嫌気がさして暴飲暴食してしまったことはあります。
あ、この「暴飲」のほうは、アルコールじゃなくて甘い飲み物ですけど。(^◇^;)
ええ、数ヶ月かけて減らしたはずの体重が、どれだけ簡単に「元の木阿弥」になってしまったことか…
(というか、ダイエット前よりも増えてしまった…)😓
だから、「○○は体に良くない」とかいうのを見ると、本当はやめてしまうのがいいんだろうなと思いながらも、ちょっとずつ減らしていこう…という感じになるわけです。(砂糖、油脂、その他色々)
やめてしまうとリバウンドする、それは経験しているので。
そして、成功体験よりも失敗のほうが参考になるんですよね。
同じ失敗はしないように、それこそが「経験が役に立つ」ということなのでしょう。
成功談は、そのときその人にちょうどいいやり方だった、というのでないと当てはまらない場合があると思います。
息子たちが幼い頃、学校に通っていた頃、同級生の親の話を聞いていると、「○○は絶対いいよー」という話は、勉強であれ野球の練習であれ、そのときのその子どもさんに合ったやり方だったというに過ぎないのだと、あとからわかりましたから。
でも、「××はしたらあかんかったー」は、めっちゃ役に立ちました。
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適当とかいい加減というのは、「ほどよく」という意味もあるのに、何故か悪いことのように使われる言葉になってしまってますよね。
ものには「適量」の把握が必要なことが多いでしょう?
過ぎたるは及ばざるがごとし。
体にいいよーと言われると、つい、それに頼ってしまってそれだけを「及ばざるがごとし」まで過ぎてしまったりします。
医者の匙加減。
これも、本来なら「適量の投薬」という意味がある気がするんですが、何やらあまり良くない言葉として使われたこともあるのではないでしょうか。
薬は、適量でなかったら危険ですよね。
生きるのに不可欠な、水、塩、食料でも、適量を遥かに超えてしまうと健康を損ねるくらいなので。
ましてや不特定多数の方たちに同じものを提供するとなると、性別、年齢、体格、病歴、生活習慣、親からの遺伝、さまざまな要因で、それぞれが違う体質を持っているでしょうから、効き目に差があるのは当然なのかもしれないと思います。
それを思うと、安易に、ワクチンは害毒だとか、逆に絶対必要だとか、言えないのではないでしょうか。
これについては賛否両論あることは知ってますけど、そのどちらかだけを信じるというのは危険だと感じています。
適量の把握ができないまま見切り発車で使って、それで健康を損ねてしまったということはあり得ると思います。
その危険性を考えて、投与されるのを拒否していた方たちがいるのもわかりますけど。
あまり、最初からそれを企んだ陰謀だと決めつけるのもどうなのかな?と思います。
(それくらいならまだ、せっかく作ったものは金儲けに使いたいと思う製薬会社に、いいように金づるにされているというほうが信憑性ある〜)
製薬に携わっている方たち、投与に関わった方たち、あるいはワクチンで流行が収まるまではと頑張ってきた医療関係者の方たちに、もう少し感謝と敬意を持って発信してもらえればと思います。
だからといって、危険性がないなどというつもりはありません。
というか、どんな投薬も治療も手術も、絶対安全なんてものはないのではありませんか?
いつだって、メリットとリスクを秤にかけて、選ぶほかないのだと思っています。
ちなみに私はコロナワクチンは4回まで受けました。
それ以降受けてないのは、副反応で3日寝込むからです。
そのわりに、○○株とか新たな変異種が出てきたら対応してないわけで…
リスクとデメリットに対して、接種するメリットをあまり感じなくなったんですよね。
もっとも、これから先も同じ考えだとは限りませんが。
諸行無常の中では、臨機応変に対応するのがいいのかな?と思います。
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バランスって大事だと思うんですよね。
今の日本は、諸外国に遠慮しすぎて、国民を疎かにしていると感じますし。
外国にはそれぞれの、文化と歴史があるんですから。
どこかに配慮するのなら、他にも分け隔てなくやらないと偏ってはあとあとまで禍根を残すことも。
だから私なら、それぞれに対して、深入りしないという態度をとると思います。
国対国の争いなんて、歴史的にも根深いものがあるでしょうに、安易に片方にだけ肩入れするのは危険だと思います。
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ここまで書きかけて、書き終われずにいたブログなんですが、今日アップしようと思ったのはXで篠原さんの言葉を読んだからです。
「過去を否定しない」→敬意と感謝を持つことで、より良い方向に改善していけるということと。
分断して、相手を「抵抗勢力」とすることの危うさとを感じたので。
ワクチンを「開発した方たちへの感謝と敬意を持って」より改善するために(激烈なものも含めた)副反応を検証していきましょうと呼びかけるならともかく、最初から陰謀だった、害悪だと断じるのは危険ですよ、とか。
私のブログの読者様のほとんどは羽生結弦選手のファンの方たちだと思うんですが、メディアに「野球ファンとの分断」をさせられている、それに乗せられて、野球界への敬意を欠いた言葉を安易に発信していませんか?という危惧を持っていることを発信しておこうと思いました。
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これについてはまた改めて書きます。
取り止めのないブログになりましたけど(いつものこと?)😅読んでくださってありがとうございました。