問題1   次のものの形を答えよ


A   △

B   ▲


…………


問題2   次のものの形を答えよ


A   ○

B   ■


…………


私は自分が好きなものについてはとことん考えて咀嚼・反芻するんですが、代わりに、視野が狭くなってしまうこともあるなと感じています。


できればもっと俯瞰的にものを見るようにしたいなと思う一方で、何ごとも「揚げ足取り」ばかりする人の見方なんて知っても仕方ないし、なんてふうにも考えてしまいます。


まあ、私自身が自分の視野が狭いと思っていたところで、世界に対しては影響はほぼないんですが。


中には多大な権力を持ちながら、自身の視野を広げるどころか狭くなっていると気づきもしてない人もいるようなので、困ったものですね。


…………


世の中、より便利に快適になっていくのならありがたいことですが、それを否定する人もいるんですね。


家事労働に対して「手抜き」と発言する人たちなんて、その典型例だと思います。


私なら、そういう面倒くさい相手には、

「自分がいかにいつも頑張っているか」なんて力説するような手間をかけたりせずに、

「手抜きだよー、だから何?」と返事してしまいそうです〜


思うに、報酬が発生しない無償奉仕、家事労働や家族のケアなどはもっとずっと簡略化していっていいのではないでしょうか。


逆に、面倒だなと思ってもしっかりきっちりやらないといけないのは、多額のお金が動くとき、権力や法律に関わるときなのでしょうね。


そういうものは、面倒くさいとか言ってちゃいけないと思います。


面倒を肩代わりしてやろうとする輩は、良からぬことを企んでいることがほとんどですから。


御用心、御用心キョロキョロ


…………


最初の問題はわかりましたか?


Aは何でしょう?


私は三角形だと思います。


円という方もいらっしゃいますか?


あら〜おかしいですね。


同じものを見ているはずなのに、何故違うんでしょうか。


ではBは?


私はこれも三角形だと思います。


え?正方形だと思う方もいらっしゃるんですか?


あれ〜???


…………


物は、見る方向や角度で違う形に見えるなんてこと、よくあるのだと思います。


問題1は横から見たとき、問題2は上から見たときの形だとしたら?


Aは円錐、Bは四角錐だと見当がつきます。


だけど、人間の性格や生き方はそんな簡単な形はしてませんよね。


見る方向や角度で全く違うかもしれません。


まして、人間関係なんて、片方から見ただけで何かを判断できるなんて、絶対にないと思います。


どなたかの結婚とかについても、もしも何かの話がどこからか出てきたとしても、それが一方的な見方に過ぎないということを踏まえて考えないと。


全くの見当はずれな感想を持つことになるだけではないでしょうか。


熟年離婚なんて、「自分たち夫婦はうまくいっていると思っていたのに、突然、『もうずっと離婚しようと思っていた』と言われてしまった」なんて、わりとあるのではないでしょうか。


つまりその時点でもう、夫婦それぞれが違う見方をしていたということなんですよね?


まして、身内であっても当事者ではないなら、どのくらい理解しているのかわかったものではないでしょう?


なのに、有名人だからと言って、あれもこれもと知りたがるとか口出ししたがるというのは、いかがなものかと。


え?誰のこととは言ってません〜


…………


何かの富を持っている方がいて、自分もそれを得たいと思ったら?


簡単なのは、奪ってしまうことですよね。


盗む、横取りする、何と言い換えても構いませんが、そうすれば手に入れることはできないことではない、と考えてしまいがちです。


だけどそれは、自分が創り出したものでも、贖うために財産を貯めたわけでもないので、使ってしまったらもう終わりですよね。


一方で、その富を創り出した方なら、いっとき奪われることがあったとしても、また創り出すことはできるかもしれません。


円錐が山だとしたら、その頂上に立っていること自体が富なのだとしたら、奪うためにロープウェイで登ったり、なんならヘリコプターでそこに降り立ったりしたら、「頂上にいるのは自分だ」と言ってしまうことは可能かもしれません。


でもそれでは、どうやってそこに辿り着くことができるのか、独自ではわからないままですよね。


だけど自力でそこまでたどり着いた方なら、また踏破するルートも思いつくかもしれないし、あるいは別の四角錐の山を登りに行くかもしれません。


そしてそれは、自力でやったことのない人にはできないことです。


…………


私は、羽生結弦選手が25年かけてたどり着いた「最高のスケート」で、得たもの…


「そのスケートを見たいと望むファン」の1人として、膨大な数のファン、観戦者を奪いたいと望む人たちに言ってやりたくなるんです。


簡単に奪うなんてできると思うな、と。


莫大な金額が絡むことは、手抜きしてはいけないんです。


羽生くんが地道に、25年かけて積み上げてきた技術と芸術と人間的魅力とは、奪えるものではないので。


あ、もしもその技術を盗みたいと思って真似する選手たちがいるなら、それは頑張って習得してくださいね〜


あいえすゆうとすけれんは、真っ当に、しっかりと選手たちを支援してくださいね。


そういうことを羽生くんや、そのファンに求めないで欲しいです〜


何しろ、100年後に残せる芸術を創り上げることに邁進していらっしゃる方と、そのスケートに耽溺して咀嚼して反芻して萌えて妄想して楽しむのに忙しいファンがいるだけなので。


あいえすゆうのお仕事はご自分たちでなさっていただきたく。


よろしくお願いします。


取り止めのない文章におつきあいいただき、ありがとうございました。