先月くらいだったか、ネットニュースか何かで「マルハラ」なる言葉があるのを知りました。


(私が丸いのがあかんのかーい)


何でも、連絡文章の終わりに「。」をつけてあるものを受け取ると、怒られているように感じるのだとか。


(ほんまかいな?。。。。。)


まあ、メールよりもLINEを使い慣れている世代のうちの一部が、「これで終わりです」という意味にとってしまうらしくて、そんなことでハラスメントになるなら何でもありになるのではないか?と感じたんですよね。


(私が丸いこともハラスメントやて言われたらどないしよ?)(^◇^;)


あまりにもあれこれハラスメント認定してしまうと、本当に深刻な、早急に改善が必要なものがわからなくなってしまうと困りますから。


(私が丸いこと…あ、もうええ?)😅


私が文章の終わりに「。」をつけるのに理由が必要なら、いくつか挙げますけど。


(私が丸いから親近感を感じている…あ、もうええ?)σ(^_^;)


1つは、日本語として句読点がある文章を読むのも書くのも慣れているから、それ以外のやり方でまともな文章にする自信がないからです。


(句読点つけてもまともな文章になってへんかったらどないしよ?)(^◇^;)


2つ目に、日本語で句読点をつけない文章として思い浮かべるのが、詩や短歌や俳句などだからです。


(たまに川柳らしきものはブログで書いてたけどな、全部の文章を七五調でなんてようしいひんし)


3つ目に、私はすぐに長い文章にしてしまう癖があるので、意識して区切っているし、句読点や改行だけでなく、さらに行間をあけることまでして「読みにくい、意味のわからないものにならないようにしたい」と思って書いているからです。


(ほんまに実行できているかどうかは読者様たちが判断してくれはると思うけどときどき書いている私自身でも意味不明になってたりするさけに関西弁の意味がわからへんていうだけのことでもいいから変な文章があったら指摘してもらえたら嬉しいし)

句読点も改行もないとこうなる。

(嫌やわー、ツッコミやのにひと息でしゃべれへんやんこんなん)


4つ目には、三つ子の魂百までと言われているように、最初に文章の書き方として習ったやり方に愛着があるからです。


(百まで生きる気なんかーい)


というわりに、改行後、文章のはじめにひとマス空けることはしていませんね…


(まあ、私のすることこんなもんやて)


…………


息子たちの幼少期にPTAの講習会で、「あいうえお」を大事にして育ててください、という言葉があったことを今でも憶えています。


(ひらがなを教えようていう意味とちゃうで)


「あ」は、安心できるあたたかい家庭で育ててください、ということでした。


(あたたかいを通り越して、夏にはめっちゃ暑い我が家)


「い」は、イメージを大切にしてください、と。


(親が我が子にどういうイメージを持っているか?は、結構通じてしまうし)


「う」は、上手く褒めよう、と。


(これがなかなか難しいんや)


「え」は、得手を子どもに持たせるように、と。


(結局子どもの頃からの得手と、成長してからの得手は違ったような気ぃするけどな、何かを得手と思って自信を持つのが大事なんやろね)


「お」は、終わりに丸がくる、1日の終わりに良かったと思える日を過ごせるように、と。


(はい、ここでやっと出てきたー)


終わりに良かったと思える、丸で終われる日をこれまでどれだけ息子たちが持てたか?はわかりませんが、私にとっては、息子たちが生きて無事でいてくれたらそれだけで、丸で終われる日です。


(長男が小学校に入学した年に、池田小学校の事件があって…ほんまに、生きていてくれたら、それだけでいいんやて思ったし)


だから私にとって「丸で終われる」はハッピーエンドのようなもの、1日でも1ヶ月でも1年でも一生でも、「丸で終われる」ようにしたいという願掛けも含めています。


(ハッピーエンドは大団円とも言えるしな、やっぱり⭕️がええんやー)


…………


ノッテステラータ千秋楽での羽生くんのMCについて、今さら?ですがちょっとだけ。


(あの、「明日は暗い…」の話やな、もういいと思う読者様はスルーしてくれはっても構わへんで)


まあ、あれは「3月11日なので」という一言を入れて羽生くんが話していたら、それだけで済んだことだったんだろうなという気がしています。


(ご本人もそう思ってはるんとちゃうかなー、そやしほんまに今さら案件)


羽生くんは自己肯定感が低くて、アイスショーを見てもらっても、そこまで観客の方たちが非現実の世界を彷徨っているとは思わなかったかもしれませんけど、

あの羽生結弦選手のスケート

を目の当たりにして、日常から掛け離れた空間にいたような気分になっていた方たちにとっては、今日がいつで明日が何日なのか?がすぐにピンとこないのも仕方ないのではありませんか?


(明日?明日っていつ?というか、今日は何日?もっとちゃんと教えてよ…という感じで受け取ってはったかも?)


もう、それだけ「羽生結弦のスケート」には、見た方たちの魂を揺さぶるだけのインパクトがあるということを自覚してもらえれば、と思います。


(私かて3.11のことはわかっていても、実際その場にいてたらどう反応するかわからへんし)


あ、これもちょっと…だからといって、一部の方たちが「そこで笑うような人はもう来るな」などと言うのは、ちょっと違うんじゃないかと。


(RE_PRAYのデータが壊れていますのときの笑い声のときも、何や、そういうこと言うた人いてたなー)


人間ってとっさの反応が自分の意思でできるとは限りませんし、ちょっと驚いたときには笑うようになってもおかしくないので。


(おかしくないけどおかしいように反応してしまう???)(^◇^;)


羽生くんのスケートは人類の恒久財産、誰かに見るなというような言葉を投げつけるのはいかがなものかと。


(アンチには見てもらいたないけどな…って、ひょっとして、アンチが羽生くんの集客力を低下させるために言うたんかーい)😓


羽生くんが3月11日を「祝福して過ごしたい方たちもいる」ことに思いを馳せて、発信してくださって良かったけど、あれこれとまた思い悩んだ結果なのかもしれませんね。


(ほんまにアンチはずっと、震災のことに絡めても執拗に中傷しとったからな)


ですが羽生くんは、全てをスケートに込めて、スケートに託してこられたのでしょうね。


(だからこその表現力…というには、傷の深さに胸が痛むわ)(T_T)


…………


今日のタイトルは、羽生くんが好きだとおっしゃっていた星野源さんの歌のタイトルをもじってつけました。


(終わりに丸がくる、てしようか?迷ってこっちにしたんや)


人生の終わりに、これで良かったと思えるように生きていけたらいいですね。


(百まで生きるんとちごたんかーい)


ツッコミつきの文章におつきあいいただき、ありがとうございました。


(百まで生きるならあと…43年と3ヶ月と…)


丸で終わってへんやん、カッコで終わってるやん…

カッコ…

カッコいい羽生くんが好き❣️

あ、また、「。」とちゃうがな。

。やー❣️。。。。。。。。。。。。。。