えー、ノッテステラータは私は今日のぶんは見てませんので、ご覧になった方たちのレポをあれこれ探索してから、またしばらく?咀嚼します〜
ということで、この数日、この数ヶ月、この数年、ちょっと「そうなんだろうな」と感じていたことについて。
人は易きに流されるものですよね。
同じことを簡単に楽にできるなら、そのほうがいい。
そうやって進歩してきたこと、より快適に便利になったこと、それは大いに結構なんですが。
その中で、その「易きに流されてしまう」ことはいけないだろうと感じるのは、
権力側がそれを認めてしまったとき
なんですよね。
最近のことでいうと、政府内部に所得の申告漏れした人たち?が複数いた、というあたりでしょうか。
これって本来なら、全員、一人一人しっかり調べて、追徴課税やその他然るべき罪として裁かれなければいけないわけでしょ?
でも、それをすると政局は混乱して、全員を罷免したら、誰ならクリーンで次の内閣に入れても大丈夫かわからなくて、大騒動がいつまで続くかわからない感じ?😓
だから手っ取り早く「今回の件はもうなかったことにしといてよ」というような、スルーしてしまうのを見逃してちょうだい的な馴れ馴れしい態度に思えるんです。
あ、これは私が受けた勝手な印象ですからね。
もしも責任者が全てを負って、全員の罪を詳らかにすると発信してくれるならそれでいいし…ていうか、それが当たり前なんじゃないんですか?
法治国家としての規律を政府が蔑ろにしたらダメでしょう?
まあ、そのあたりもですが。
あいえすゆうとすけれんのしてきたことだって、大して違わないというか…
権力側が権力を使って、公正な判定になってないものを野放し(というよりもっと積極的に恣意的採点を横行)状態で、潮が引くようにファンが減ってしまったわけですよね。
宮城県のノッテステラータ公演では、リハーサルを見に行った方たちがほぼ満員御礼状態だったとか?
それってひょっとして、試合よりも、まして(羽生結弦選手が出演しない)他のアイスショーよりも、羽生くんのリハーサルを見たい方たちが多かったということなのでは?
バカタレ週刊誌にしても、アテンションエコノミーと言うんですか?刺激的なタイトルをつけてアクセスしてもらえば、内容も、その真偽もどうでもいい、と。
簡単なほう、楽なほうに流されてしまうと、そうやって「まあこれでいいだろう」が身に染み付いてしまって、わざわざ困難なことをやりたがらなくなってしまうんですよね。
まあ、個人的にはそれもあるあるなんですけどね。
私だって、体重減らさないといけないのに甘いものが好きだし食べてしまったりとか、掃除するの面倒で省略したりとか、しょっちゅうです。
でもそれは、私の責任の範囲内で何とかしないといけないわけです。
体重が増えたら、私の体調が悪くなるかもしれないし。
昨日サボったぶん今日掃除したら時間かかって、困るはめになったりとか。
そんな、個人的に「易きに流される」は、とても、とっても、同調してしまうところなんですが。
それを責任者が、権力側が、やってはいけないんです。
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羽生結弦選手が何故あれだけの人望があるのか?
そのうちの一つは、ご自身に妥協を許さないところなのではないでしょうか。
易きに流されることをせずに、もっとも厳しい道を選んでいる。
もっとご自分に優しくしてくださいとファンが思うほどに。
メダリストが引退してプロになったあと、易きに流されるスケーターばかりだったから、アイスショーの業界が立ち行かなくなったという部分から、目を逸らせても事実は変わりませんよね。
羽生くんは、単身「プロはアマチュアよりも高いレベルのスケートをして当然」という世界にできるように、挑んでいるように感じます。
でも、そうすると、易きに流されていたいスケーターさんたちからは、煙たく思われるでしょうね。
某先輩の路線なんか、特に。
簡単にできるほうに流されてしまう私だからこそ、より困難なほうに立ち向かう方への応援に熱が入るのかもしれません。
読んでくださってありがとうございました。
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今日はアメーバさんへのアクセスがちょっと具合悪かった…
コメントしたいのに、なかなか…
もしかしたら、未読も溜まっているかも。
( ̄▽ ̄;)