私は身も蓋もない考え方をするもので、「諦めなければ夢は叶う」なんて思ってません。


事実として、高校野球で優勝するのは一校だけです。


他の有力なチームだって、最後まで諦めずに戦ったけど、負けてしまったら優勝の夢は叶わなかったわけでしょう?


途中で諦めたから負けたというわけでも、最初からベスト8を目標にしていたわけでもなく、ひたすら優勝を目指していても…最後の最後まで諦めず戦っても、叶わなかった夢というものはあるのだと思います。


だから勝者が「諦めなければ夢は叶う」と言うのを聞くと、何となく、敗者への配慮に欠けたような受け取り方をしてしまう…そんなひねくれた自分がいます。


私にとっては、「諦めなかった方たちのうちの誰かが夢を叶えることもある」のだということですから。


…………


このところのバカタレ週刊誌などの一部の悪質なメディアを(見たくもないのに)見ると、自分たちの権力を権利のように思っているんだなと感じます。


○○砲などと呼ばれて「権力側の不正を暴くメディア」のように思われていた頃もあったのでしょうけど、今はそのイメージにあぐらをかいて、影響力という権力の側に立っていることを自分たちの権利のように思ったのでしょうね。


その週刊誌、出版社という後ろ盾がなかったら、たんなるいち記者としてその記事を書いたなら、信じる読者は何%減るでしょうか?


雑誌名にまつわる、これまでのジャーナリストたちが築き上げてきた信用の上でなかったら、どれだけ「これはきちんとした取材に基づくもののはずだ」と受け取ってもらえたでしょう。


影響力というのは、最も得ることが容易な権力なのだと思います。


他の権力は全て、ハードルが高くなっていますから。


政治家になるには選挙で当選しないといけませんよね。(立法)


官僚には難関の国家公務員試験に合格しないとなれないでしょう。(行政)


裁判官、検事、弁護士になるには司法試験に合格することが必要です。(司法)


だけどメディアは、それぞれの入社試験があるだけなのでは?(影響力)


そして、どんな組織であってもある程度そうなのかもしれませんが、内部に長くいるとその組織の持つ権力を自分個人のもののように錯覚することがあるでしょうけど、メディアの人たちは特にその傾向が強いように思います。


「○○がこんな記事を書いていたから、そうなんだ」と思ってもらえる。

「○○砲だから事実なんだろうな」と信じてもらえる。

それを記者個人の信用のように増長して、

「○○でこう書いているから」を読んだ方たち全員に信じてもらうのが当然だと思い込んで。

「○○にこう書いてやるぞ」が脅し文句になってしまう。

「○○砲が嫌なら条件をのめ」が罷り通る…

か、どうかまでは知らんけど。(⌒-⌒; )


そしてそういう人たちは、自分が発信したものを信用してもらえないと、(単に信憑性がないだけであっても)腹を立てて「信じないのはバカだから」と思っているのか…


信じてもらえるのが当然というだけの信用度がもうないくらい低下したのだと、理解したくないのでしょうね。


もしくは、真っ向から否定した相手が「個人であっても○○より信用度が高い」という事実を認めたくない、受け入れられない、ということなのかも。


「諦めなければ夢は叶う」と言いながらも、本当はその夢に届かなかった方たちが大勢いることに目を瞑っているのと同じで。


組織の持っていた影響力が、個人への信頼に及ばないという事実から目を逸らしたところで。


外から見ると、ああ、わかってないことが多いのに気づいてないのだなと感じるわけです。


…………


フィギュアスケート界においても、他の採点競技と同じく「与えられた得点、順位」は絶対のもので、滅多なことで覆ることはありませんよね。


よほどの採点ミスの指摘以外は、無効なのではないでしょうか。


ファンがどれだけ「あの採点はおかしい」と、依怙贔屓されているのではないか、恣意的に運用されているのではないか、とGOEやPCSの項目と照らし合わせて矛盾を指摘しても、一度出た得点が訂正されることはほとんどないんですよね。


それはジャッジの「自分たちの採点が受け入れられるのが当然」という、権力側の傲慢さの現れだと感じることが多々ありました。


ジャッジが、解説が、その得点と順位を正当だと言えば、選手たちも指導者たちもそしてファンも受け入れるもの、と思い込んだ上で。


その権力を恣にしてきたのではないでしょうか。


その権力でも及ばないくらいに、実力も魅力も信用度も飛び抜けた

羽生結弦選手

が、恣意的採点で低く評価されるまでは、ある程度「そう言われればそうなのかもしれない」と思わせられたかもしれませんが。


もう、あまりにも桁違いの差を「そんな差なんてない」ことにしてしまおうとしても、見えてしまうくらいの差だったので…


ジャッジや解説の信用度よりも、その、飛び抜けた実力の持ち主のほうに人望が集まるのは、どうしようもなかったのでしょうね。


だけど今でも、ジャッジは(その大元のあいえすゆうとすけれんは)自分たちの影響力を誇示したい、その影響力という権力のもとに羽生くんを押さえつけておきたい、と思っているのかもしれません。


だからしつこく、競技復帰説なんてことをどこかのメディアに頼んで?記事にしてもらうんでしょうね。


アイスショーの世界では、評価するのは観客それぞれだけど。


競技に戻れば、ジャッジが(本当ならルールの)支配下に収められる、と。


だけどもう、羽生くんのプログラムは、アイスストーリーは、ルールも採点も必要ない世界のものです。


私たちファンそれぞれ、新たに見たいと望んでくださった方たち、1人1人の胸に「あのプログラムはこういうことを表現したのかも」という感覚で受け止めてもらえるものになったんです。


あー、ちょっと余計なことだけど、だから私は、解釈をあれこれ教えてくださるのは嬉しいけど、その解釈を押し付けられるのは苦手です〜


羽生くんも、観客それぞれの解釈に委ねてくださったのだと思いますから。


ちなみに私の解釈では、「いつか終わる夢」は4Aです。


まあ、あまりにもストレートではありますが、もう、競技中に成功させることはできないという事実はどうしようもないかな?と。


そして、もしもこの先それを「ここまでできるようになった」と羽生くんが見せてくださるときがきたら。


その挑戦を祈りながら見守ることになると思います。


心臓がもちますように…血圧高いんだけどなー


読んでくださってありがとうございました。