今日は1月17日です。


阪神淡路大震災から29年たちましたね。


当時、このあたりは揺れたものの、棚の上のものが落ちたくらいでした。


ですが朝食の支度をしていた私は、慌てて火を消して、まだやっと首が座ったばかりの長男のところに駆けつけて抱き上げました。


当時羽生くんはそれよりももっと小さい…首も座ってない赤ちゃんだったはずです。


そんな、記憶に残るわけでもなかった災害の記録から、当時の被災に心を寄せてくださる…


なかなかできることではありませんよね。


先日のRE_PRAY佐賀公演では、広島や長崎の原爆についても話していらっしゃいました。


命に寄り添う、痛みに心を寄せる方が推しで良かった。


…………


天と地のレクイエムは、東日本大震災のあと作られた曲だったと思います。


初見のイメージは、「失われた大切なものを探して瓦礫になった街を彷徨っている」…


振り付けは宮本さんだったと思うんですが、東日本大震災に阪神淡路大震災を重ねていらっしゃったのかもしれません。


これをアイスショーはともかく、EXで羽生くんがやったことには驚きました。


私からはEXは、試合後の…余韻を楽しむ、名残を惜しむ、後夜祭のようなものというイメージだったので。


こんな重苦しさは異質ではないのか?と。


当時羽生くんは20歳、日本での成人年齢だったわけですよね。


そうなると、これまでと違うことへの挑戦を始めたのかもしれないと感じました。


それまでよりも、より「自分のアイデンティティを表に出すプログラム」にシフトしていったのではないでしょうか。


平安時代の陰陽師を題材にしたSEIMEIをフリーで、震災の痛みを感じさせる天と地のレクイエムをEXで。


そして、フィギュアスケート界に問うたのではないか?とまで考えてしまうんです。


今のその既成概念は、これからもそうあるべき普遍のものなのか?と。


フィギュアスケートのプログラムはスタンダードなもの、クラシック、ロック、オペラ、ミュージカル、舞踏音楽、流行している映画音楽、聞けばわかるものが多かった気がするんです。


それをSEIMEIと天と地のレクイエムで、オリンピック金メダリストが「フィギュアスケートでこういう表現もできる」を提示していったのかも。


…………


今でも羽生くんは、フィギュアスケート界の既成概念に「それは本当にそのままでもいいのか?」と問いかけている気がするんです。


たいていのスポーツではプロ>アマチュアなのに、フィギュアスケートは逆だったりとかしますよね。


羽生くんに対しても「今でも試合で勝てるのに」という言葉が出てくることがあるけど、プロ野球選手に「今でも高校野球で勝てるのに」なんて言ったりはしませんよね。


あるいは、世界ツアーをやるのがスターの証のようなことを思っているふしもありそうですが。


「来てくれたスターを歓迎する」ことはあっても、「スターを見に外国まで行く」だけの求心力を持つほどのメガスターは、他にどれだけいますか?


そのあたり、既成概念を打ち破る…とまではいかないかもしれないけど、「破滅への使者」というタイトルに、羽生くんはこれまでもこれからも、既成概念や悪しき慣習を突破していくのだろうなという連想をしてしまったんです。


…………


佐賀公演は、前夜祭から歓迎ムードがひしひしと伝わってきて、現地に行かれたファンの方たちも感激していたのが嬉しかったですよね。


昨日のディレイビューまでが後夜祭だったような感じで、フェスの名残を惜しむあたたかい感想がまだあちらこちらで発信されているようです。


日本は災害が多い国です。


地震、津波、台風、火山噴火、豪雪…


その痛みに寄り添ってくださるメガスターが、日本で「諸外国から観客を呼ぶことができる」ことを蔑ろにしないほうがいいと思います。


羽生結弦選手がいるから、日本に親しみを感じてくださる…


そんな国外のファンの方たちも多いのですから。


読んでくださってありがとうございました。