フィギュアスケートって、始まった頃には図形を描くものだったそうですね。


(ヨーロッパ貴族発祥らしいがな)


バレエのように踊る方も出てきて、今のような形になったのだとか。


(競技として成立させること自体が、結構難しい気ぃするで)


だけど昔も今も変わらないのは、見た方たちが喜ぶのは「あんなことができるなんて凄い、もっと見たい」と思う…というあたりなのではないでしょうか。


(スケート自体をしたことない身からすると、自在に滑るのを見るだけでも「うわー」てびっくり‼️するかも)


ですが、鑑賞するにしても体験するにしても結構お金がかかるので、入口はやはり(現代なら)TVで放送されているものを見るというあたりが通常なのではないかと。


(そうやない方って、かなり特殊な環境下にいてはったんとちゃう?親が指導者とか…)


ならば、TVで見てどれくらい感銘を受けるか?というと、やはり、見る側がそれまで何を見てきたか?によって違うのではないでしょうか。


(スポーツのファン、ダンスのファン、音楽のファン、映画のファン、ミュージカルのファン…)


どの層が見ても凄いなと思わせるだけの、「スケートのパフォーマンスを見せるだけで引き込む」だけの力量がある選手は、これまでどれだけいたのでしょうね。


(伝説のように名前が挙がるスケーターさんたちもいてはるけど、それだけその時代において代表的なパフォーマンスやったんやろね)


…………


羽生結弦選手のスケートは、それを見られただけでも生きていて良かったなと思うくらいのものでした。


(ヘルシンキホプレガ…あの日からずっと、何かつらいことしんどいときがあっても、このあと時間を作れたらあのときの録画映像を見られる❣️と思うだけで、乗り越えられるお守りをいただいたようなもんやった)


どのプログラムひとつをとっても、他のどなたのものとも違う、羽生くんご本人の他のどのプログラムとも違う、唯一の輝き。


(バラ1にはバラ1の、ロンカプにはロンカプの、白鳥さんには白鳥さんの、他にはない美しさ)


アイスショーは試合とは違って勝敗も得点も記録もつかないので、プログラムの魅力だけで観客に「見て良かった」と思われないと、リピーターになってもらえませんよね。


(羽生くんのプログラムなら、現地で見るていうだけでも価値があると思わせることが可能やけどな)


羽生結弦選手の単独アイスショーでは、

羽生結弦選手のプログラムという見る価値が高いものがいくつも披露されて、

その合間の映像も羽生くんご自身で用意なさったものなので、

ファンにとってはもう、これ以上ないくらいの贅沢な時間と空間を満喫できるものですよね。


(あまりの美しさに魂が抜けて、

あまりのカッコ良さに腰が抜けそうになって、

あまりの可愛さに萌え倒れて、

振り幅に翻弄されてしまうんやー❣️)

本望ラブ🥰


試合は、スケートのプログラムの魅力以外に、勝敗や得点や記録などという付加価値が最初からあるのでは?


(プログラムの魅力自体がどのくらいなのか?は、選手の力量と実施次第やけどな)


試合の面白さは、公正な採点あってこそのもの。


(何年もあいえすゆうに言うてたかて、暖簾に腕押しやったなー)(ーー;)


頑張っている選手たちの努力が報われるものであって欲しいものですね。


(NHK杯を見てへん私が言うのも何なんやけど、それでも口出ししたなるくらいの迷走ぶりやったらしいなー…知らんけど)(⌒-⌒; )


羽生くんのような、見るだけでその価値がわかるというほどのものになるには、素質と、努力と、努力の方向性を見定める頭脳と、持続できる精神力が必要ですが。


(その素質というあたりで、羽生くんと比較されたらそれだけで、他のスケーターさんたちに挫折されそうなくらい、羽生くんは、容姿端麗、頭脳明晰、清廉潔白やしなー)


努力の成果や納得いく実施には、得点で報われるようになって欲しいですね。


(日本女子たち、頑張ってやー)


…………


羽生くんへの賞賛と、試合へのモヤモヤが入り混じったブログになってしまいました。


(まあ、私のブログなんていつもこんなもん?)😅


ツッコミつきの文章におつきあいいただき、ありがとうございました。


(今日のブログはアイスショーの付加価値の話にするつもりやったのになー、何で試合の話が混ざってきたんやろなー)😓